写真/西崎進也

芥川賞『ニムロッド』は問う「僕たちはいつまで人間でいられるのか」

仮想通貨が文学の中で持つ意味

「人類の営為が終わる」という予感

〈やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という答えを残して〉

第160回芥川賞受賞作、上田岳弘著『ニムロッド』の一節だ。

選考委員の奥泉光は、会見で本作について「上田作品は完成度が高い」と評価したうえで、こう続けた。

「私見では、人類が積み重ねてきた営為がもう終わってしまうかもしれないことへの愛惜がにじむ作品だと感じました」

人類が積み重ねてきた営為、とはなんだろうか。

言葉によるコミュニケーション。争い。セックス。労働。商取引。もしくは表現すること。他にもたくさんあるだろう。『ニムロッド』はたしかに、その終焉を読む者に予感させながら、恐れとも、希望とも言いきれないものをつきつけてくる作品だ。

上田はこれまでの作品でも、「人が人であるとは、どういうことか」を問いかけてきた。私が私であるとは、あなたがあなたであるとは、社会が社会であるとは、国家が国家であるとは――。そんな「問いかけ」そのものが、人類の営為だとも言えるだろう。

 

上田は言う。

「いま、人類は『完璧な存在』になろうとしているのかもしれません。人間以上に賢い人工知能が生まれようとしているし、高度生殖医療や遺伝子工学といった科学の発展が、人間の能力を強化したり、永遠の命だって可能にするかもしれない。

人間の欲望を、科学技術が叶えようとしている。しかし完璧な人間、完璧な体、完璧な心、完璧な社会って、素晴らしいようでどこか息苦しいように感じます。もしかすると、全能の存在が生まれて、悩みも全部なくなって、他者との境界もなくなってしまったら、そんな苦しさも消えるのかもしれませんけれど。

でもいま、現実の僕たちは、少なくとも僕は、そうした完璧なものを受け入れることができていません。

例えば、すべての人が抱える欲望が叶えられるということは、個人の違いがなくなるということ。ダイバーシティもなく、すべてが均質な世界、それは幸せなのか。科学や技術というものに好意的な自分ですら、違和感を抱いてしまう。

そして、そんな違和感そのものが人間性なのではないかと思ってしまう」

著者の上田岳弘さん

人間は欲望を満たすために、また差異や障害、困難を乗り越えるために科学を発展させてきた。しかし、その科学が究極の目的を達成したら、はたして人間は人間のままでいられるのか。

Xは、いかにしてXたりえるのか。先の問いの対象は人間だけにとどまらない。本作ではそのもうひとつの名宛人として、「通貨」が選ばれている。「仮想通貨」というモチーフだ。