平成を支配した「少しの間違いでも過剰に正そうとする」邪悪な気配

「高輪ゲートウェイ」駅から考える
堀井 憲一郎 プロフィール

ときに押し間違えて、なぜか山手線で浜松町に出てモノレールに乗り換えろという指示が出るので何でだとおもってみると、羽田空港から飛行機に乗って愛媛県へ飛べという経路が示されていて、ちがうちがう、とあわててしまう。

「高輪ゲートウェイ」だとその間違いが少ない。とてもオリジナルである。二つとない駅名だ。とても平成時代らしい。

 

平成時代は「オリジナルであること」が強く求められている。

真似や剽窃、無断引用、コピー&ペーストが昔に比べて簡単にできるようになったので、強くそれを非難するようになってきた。それは「正しいこと」である。人が作った作品を無断で利用して、それで勝手に金を稼ごうとすることは許されない。

ただその「正しい気分」が広く共有されると、若い子に影響がでる。若い人は自分たちの行動を抑圧していく。「技術は教えてもらえない、勝手に盗め」というスタイルが支持されなくなる。というか、その言葉の意味するところさえ想像できないだろう。それは残念ながら、クリエイティブな現場では、若い世代の利益にはならない。

虎ノ門ヒルズ駅はどうなのか

高輪ゲートウェイと同じ時期に発表されたメトロ日比谷線の新駅名が「虎ノ門ヒルズ」でこちらはあまり批判がなかったように言われているが、私にとってはこっちのほうが問題に感じられる。

いつか、「虎ノ門」駅での待ち合わせのはずが、「虎ノ門ヒルズ」での待ち合わせと勘違いされ、私は待ちぼうけを食らうか喰らわせるかに決まっている。私は自分が間違える自信があるし、ぜったいに間違えるだろうと自信を持って名指しできる知り合いが5人はいる。

自動変換機能で、虎ノ門で待ち合わせ、と打ったつもりが、虎ノ門ヒルズで待ち合わせ、となってることを気付かずに人に送るに決まっている。慌て者にかぎってそういう間違いが起こりやすい。

どうしてそこが問題とされないのだろう。

世の中の人はみんなとても落ち着いて行動して間違いをおかさない人ばかりであって、私と私の周辺だけが落ち着きがなさすぎるのだろうか。よくわからない。

いちおう、両駅は歩いて乗り換えられるように仕立てられるらしいが、しかしさほど近い位置ではない。歩くと5分くらい離れているはずだ。その両駅を取り違えると、けっこう面倒だとおもうんだけど、みんな、あまりそんな心配はないようである。慌て者だけが集まって「虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅での待ち合わせ混乱を避ける対策の会」を開くしかないのかもしれない。「粗忽者の会」だ。いやあ、あまりそんな会を開きたくないなあ。