平成を支配した「少しの間違いでも過剰に正そうとする」邪悪な気配

「高輪ゲートウェイ」駅から考える
堀井 憲一郎 プロフィール

同じ理由で「芝浦」にするわけにもいかなかった。

「芝浦」は駅より北東側エリアの地名である。駅は芝浦にはない。ウソはつけない。
 だから、高輪も芝浦も採用しなかったのだ。

「芝浜」となると、どこにあるんだそんな浜は、ということで採用されるはずがない。

 

落語のタイトルをもとに付けようとしていたのなら、落語好きとしては身を挺してでも止めなくてはいけない、とおもっていた。ひとつの落語タイトルだけをいきなりとても有名にしてしまうのは、落語全体にとっても落語家にとっても、あまり利益にならないからだ。

また、個人的には「芝浜」という落語がその本来の持ってる噺の質よりも、過剰に高く評価されすぎてるとおもっているので、それに拍車をかけられても困る、ということもある。まあ、にぎやかしとして候補に入っていただけだとおもうから、本気で反対してもしかたないんだけどね。

それにしても、平成時代に流行している「正しいことをしなければいけない」という強要はあらためて邪悪だとおもう。みなさんもご存じのとおりだ。そしてそれは、このように客観的に眺めているときは困ったものだなと判断できるのだけれど、いざ自分が当事者として巻き込まれてしまうとやはり「正しいこと」の側についてしまいがちだ、というところに大きな問題を抱えている。

「正しいこと大好き時代」が反映されているのが「高輪への入口」という駅名なのだ。

「オリジナリティ」が重視された平成

もうひとつ、「オリジナルへの異様な信仰」も反映されてるようにおもう。

何だかんだといって「高輪ゲートウェイ」という名前のオリジナル性は高い。ほかにない。他の駅名と混同されることもない。

長いし、漢字とカタカナが混じっているから。

それでおもいだすのは、「パスワードの設定」である。

むかしと違って、パスワードを設定するときは、いまはなるべく長く(だいたい8文字以上)、数字と英字を混ぜて作るよう指示される。完全なオリジナルを作らなければいけないからだ。

〔PHOTO〕iStock

「高輪ゲートウェイ」は、それに適っている。

漢字とカタカナを混ぜて8文字以上。

おそらくどこの駅名ともかぶらないだろう。

スマートフォンなどでの乗り換え案内を使うと、ときに他県での同名の駅名が表示されることがある。大手町までの乗り換えを検索したときに「大手町(東京都)」「大手町(愛媛県)」と2駅の候補が表示され、いまから愛媛県に行くわけないだろ、とつぶやきながら検索することになる。