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日本文学史に残る名作をつくった元編集者の「閃きの種」となった本

直木賞作家の村松友規さんに聞く

読書の原点になった一冊

少年時代は、あまり本は読みませんでした。

祖父が作家だったので、祖父宛てに送られる雑誌に掲載されていた、時代小説を隠れ読みしたりしたくらいで。少年時代に出会うべき本に出会い、それが人生の支柱になったというわけではないですね。

ただ小学校4年生で触れた『モンテ・クリスト伯』は、読書の原点として心に残っています。

担任の先生が、授業で朗読をしてくれたんです。その方は劇団に所属する俳優でもあり、ものすごく朗読がうまかった。物語の臨場感が伝わってきて、引き込まれたのを覚えています。

主人公がかつて自分を陥れた宿敵たちに次々と復讐を遂げるという、溜飲が下がる物語の痛快さにひたすら夢中になっていた気がします。

同じく少年時代に読んだ本として、『東海道中膝栗毛』があります。一般的には、単なる面白おかしい道中物のように見られている作品です。実際、私も子どもの頃はそのように読んでいましたが、実はそれだけではないと、のちに思った。

 

江戸時代の庶民は、参詣や病気療養を除き、自由に旅をすることはできませんでした。管理を円滑にする意味で、幕府が定住を是としていたんです。ただ旅の面白さは、非定住にありますよね。

そういう意味では本作がベストセラーになったことは、幕府にとって決して喜ばしくはなかったはず。明るいだけの作品に見えて、実は権威に反発するような側面も汲み取れるんです。

青年時代に読むべき本を読まないまま、大学卒業後に編集者になりました。以降の選書は、それ以後に触れた作品です。

日本の精神鑑定』は、大本教事件や金閣寺放火事件など、さまざまな事件の犯人への精神鑑定を元にした一冊です。

犯人への質問で、ひとつの事柄についてあらゆる方向から聞いていくと、その答えに微妙なズレが出てきたり、また、何でもないようなことに異常なまでのこだわりを見せることがわかってくる。

問い詰められた人間は、こういうことを考えるものなのか、と事件の知られざる一面がわかると同時に、人間という存在の面白さの奥が詰まっている本だと感じます。

伊丹十三との刺激的な交流

ヨーロッパ退屈日記』は伊丹一三時代における、伊丹十三さんがどんなセンスの人なのか知ろうと思って読みました。

伊丹さんがヨーロッパに滞在していた際のさまざまな逸話が、話し言葉を多用した独特の文体で書かれています。伊丹さんは生活レベルもセンスも当時の日本人からはかけ離れていて、彼の家を訪ねると、交響楽団のメンバーがクラシックを奏し、そこで高級な水割りを飲むというような雰囲気が刺激的だった。

伊丹さんと交流を深めるなか、私も編集者として執筆を依頼しました。空はなぜ青いのか、といった科学的な疑問を易しく、かつユーモアをもって伝える伊丹さんらしい連載を担当した経験は、ちょっと刺激的でした。

富士』は編集者として関わった作品の中でも、印象に残っている一冊です。

当時、文芸誌『海』へ配属されて、編集長が決めた武田泰淳さんの連載小説の担当になりました。編集長は富士山のふもとにある山荘を舞台とした、山荘日記のようなものを想定していたようですが、私はそういうものを頼んでも面白くないと思っていました。

そこで私の頭に浮かんだのが、『神州纐纈城』という、武田信玄の寵臣を主人公とした時代小説です。本作には怪談めいた要素もあって、人の顔を整形する技術を持った女が出てきます。彼女は命を狙われる立場だった男の整形をする。男はこれで大丈夫と安心するんですが、後ろ姿や気配で敵に見抜かれてしまうんです。

目で見えるものだけが正しいとは限らないという、認識の危うさは泰淳さんの作風にも通底していると感じました。で、この本を生意気に泰淳さんにすすめたりしましたね。

やがて泰淳さんが書かれたのが、『富士』。太平洋戦争のさなかの精神病院における、患者や医師を中心とした数々の人間を描いています。あの狂った時代に患者として収容された人たちは本当に狂人なのか。「狂気」の根幹とは何なのか。これ以上ないような壮大なスケールで、人間という存在を探究する作品でした。

『富士』は現在、泰淳さんの代表作としてばかりでなく、日本文学史上の傑作としても、評価が確立されました。この作品を担当できたことは、編集者時代の私にとっての、大いなる誇りのひとつですね。(取材・文/若林良)

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「幻想譚でありながら、描写はしっかりと地に足のついたもので、著者の確かな力量が感じられます。不可思議なモチーフが特徴的で、自分の中の世界が揺さぶられるような感覚を、久しぶりに小説で味わいました」