バンクシーはなぜ匿名のまま有名になれたのか

そのグローバルなメディア戦略の起源
大山 エンリコイサム プロフィール

すると、「行政に保護されたストリートアートの野生喪失」という批判は的外れと言わざるをえない。なぜならバンクシーが、ストリートから美術館、ネットメディアから美術オークションまで、あらゆる制度的および非制度的な空間に自在に作品を拡散している点にこそ、その野生的原動力を見出すべきだからだ。ストリートアートはストリートにのみ存在するべきというお行儀のよい分別は、彼の野心の内には存在しない

また「行政が特定のストリートアートのみを保護すること」で問題となるのは法の原則に照らした際の非一貫性であり、経済という別の原則に基づけば、都は資産価値の見込めるものを保護するという単純に合理的な振る舞いをしているに過ぎない。司法原則よりも経済原則を優先する点で、それも資本主義の野生による判断である。都によるバンクシーの保管は、野生をもって野生を制する共犯関係と言えるかもしれない。

 

バンクシーのメディア戦略の起源

匿名的でありつつ、経済効果を生む世界的な有名ブランドであることが、バンクシーの矛盾であると先述した。しかし次のように考えると、それは矛盾ではなく、むしろ必然として理解できる。

2018年6月にパリのポンピドゥーセンターそばにかかれたネズミ〔PHOTO〕gettyimages

私的所有は、物理的に存在し、手に取れるものに対して可能となる。東京のバンクシー作品も、それがエアゾールで塗布されたステンシルの跡として、つまり物理的な痕跡として刻印されたからこそ保管することができた。

もう一度、graffiareという語源を思い出してほしい。それは、刻まれることで対象表面に定着した複製できない個体物を指した。言い換えればそれは、私的所有というコンセプトの適用範囲にあらかじめ含まれていた。

しかしエアゾールの非接触性は、ストリートアートの物理的かつ象徴的な刻印性を半分維持しつつ、同時に、無際限に反復し、社会に流通する制御不能な拡散性を解放した。つまりエアゾールがもたらした刻印と拡散の二重性は、バンクシーが匿名のまま有名になることで、私財性と公共財性という新たな二重性へと発展的に解消されたのである。

エアゾール塗料の非接触性は言わば「手元のメカニズム」であり、ミクロな事象である。しかしそれこそが、グローバルに展開されるバンクシーのメディア戦略を、その文化的背景にまで遡り分析したときに見えてくる起源にほかならないと筆者は考えている。