五輪・女子最年長出場者…亡くなった馬術選手が生前遺した言葉

「馬術がもっと身近な存在になれば」

「なにより動物が好きなのよ」

1月16日の夜、「五輪に女子最年長出場 馬術の井上喜久子さん死去」というニュースを目にしました。

私は1月7日に『アフター1964東京オリンピック』という本を出版しました。1964年東京五輪に出場した選手達に、64年以降日本のスポーツはどう変わっていったのか? そんな疑問を聞いて回ったインタビュー集で、馬場馬術で同大会に出場されていた井上喜久子さんにもお話を伺っていました。井上さんは64年大会だけでなく72年ミュンヘン大会、88年ソウル大会にも出場し、63歳(88年当時)での五輪出場は現在でも日本人女性最高齢出場記録です。

報道によると、急性心不全のため昨年2月16日に自宅で亡くなったそうです。

 

私が井上さんに取材させていただいたのが一昨年の3月。その記事が「月刊サイゾー」に掲載された際にはご丁寧に御礼の電話をいただき、書籍化の際には送らせていただく旨を伝えたところ、「楽しみにしています」と激励していただいた記憶があります。昨年の元日には年賀状を送らせていただいたのですが、亡くなったのはその直後だったようです。

井上さんの出自は特殊です。馬術はどうしてもお金がかかるスポーツですが、井上さんの母方の祖父は、セメントを主力として一代で浅野財閥を築き上げた浅野總一郎氏。当時としては大変裕福な家庭のお生まれで、御両親も共に馬術が縁で結婚された仲だったそうです。

井上さんは1924年生まれ、物心ついた時には既に東京都内の自宅で馬3頭、ロバ1頭を飼育していました。小学校への登校も、ロバがひく馬車に乗り、その両脇にはシェパード2頭も引き連れていたそうです。そして両親の馬術仲間である東久邇宮成彦王、緒方竹虎、森村義行といった戦前の政財界の大物が、連日馬に乗るため自宅に遊びに来る。「何しろ動物が好きなのよ」井上さんは真顔でそうおっしゃっていました。

実は、かつて日本人が馬術で五輪金メダルを獲得したことがあります。“バロン西”の愛称で親しまれた西竹一陸軍大佐は、帝国陸軍の騎兵将校として騎兵畑を歩み、1932年ロサンゼルス五輪馬術障害飛越で金メダルを獲得しました。これは現在も日本馬術界唯一の五輪メダルです。

井上さんは5歳から馬術を習い始め、軍人も参加する馬場馬術の大会で11歳の時に優勝し、天才少女として早くから注目を集める存在でした。西大佐とも練習場で一緒になることが度々あったそうです。

なぜ金メダルを獲得することも出来ていた日本馬術が、その後全く国際大会で上位に進出できていないのか? 長く馬術の最前線にいらした井上さんなら、その答えをお持ちなのではないかと思い、取材を申し込みました。