photo by gettyimages

なんとなく、反体制…現代につながる「1970年代の呪縛」とは何か

若者文化が「反抗的」だった時代

何度もよみがえる左翼思想

小林秀雄の初期評論を読んでいると、「左翼思想」が大きな影響力を持っていた昭和初年の論壇の空気が伝わってくる。

『様々な意匠』や『Xへの手紙』では、マルクス主義思想や唯物論に強く感化されている当時の知識人の存在と、彼らとはしっかりと距離を置こうという小林秀雄の強い意志をひしひしと感じる。

まわりはすべて「マルクス思想大好きちゃん」ばかりという空気が充満するなかで、自分の吸える空気だけを選んで呼吸しているような、そういう文章に見えてくる。自分の感覚にだけ誠実に書こうというスタイルは、おそらくそのマルクス主義思想に囲まれた状況で生み出されたのだろう。

昭和初年(1920年代後半)には、左翼思想は知識層に強く支持されていたのだ。

昭和10年代の弾圧時期を越え、昭和20年の敗戦占領下で広く蔓延していった。

それは1960年安保(昭和35年安保)、1970年安保(昭和45年安保)に向けて大きな動きとなっていく。日本中が左翼思想に染められていくかのようだった。

1960年代から1970年代に(昭和でいえば40年代)少年だった私は、当時のそういう社会の空気を覚えている。頭のいい人たちは、みんな左翼的思想を支持しているのだ、と何となくおもっていた。視野をさほど広くとれない少年にとって、世界はそう見えていた。

だから、どうして左翼寄りの政権が誕生しないのか、不思議でもあった。

「金儲けと自分のことばかり考えている人」たちが保守系であり、「みんなの幸せを考える人」たちが革新系だと信じていた。すごく大雑把だけれど、ほんとうにそうおもっていた。まあ少年の世界観としてはしかたのないところだろう。

かくも「マルクス主義思想」「社会主義思想」というのは20世紀のあいだを通して、ずっと魅力的な思想だったのだ。若者たちが仰ぎ見る理想社会を示してくれる思想として、つまり「自分たちの生きる方向を示す指針として」重宝していた。おそらく、思想を越え「善きことをなすための行動マニュアル」になってしまい、それが100年を越えて支持されるもとになったのだとおもう。

左翼的だとイメージされた若者文化

1960年代から1970年代にかけては、また若者文化の時代でもあった。

学生運動が盛んであり、若者が政治的発言を繰り返し、フォークソングが歌われ、ロックミュージックが生まれ、ラブ&ピースが叫ばれ、サイケなファッションが流行し、ヒッピー文化が世界を席巻していった。みな若者の文化であった。

そして、何となくそれらすべてを「左翼的な存在」だとおもっていた。

少年の私は深く考えずにそうおもっていたし、たぶん、そういうふうにとらえていた大人も多かったとおもう。

 

「若者の反抗心」はすべてそのまま「左翼的な運動」とつながっていたと捉える傾向があったのだ。

たしかにそういう側面もあったとはおもう。でも、すべての文化が左翼的だったわけではない。

たとえば、フォークソングはすべてが「間違った社会に異議申し立てをおこなうための歌」だったわけではない。そういう歌もあるが、ラブソングもある。どちらかといえば反抗ソングのほうが少ない。しかしフォークソングに対するイメージは「反抗する歌」というふうにとらえられることが多いようにおもう。

ロックミュージシャンが、みんな社会を否定していたわけではない。彼らがみんな現政権を打倒するために歌ってはいない。あたりまえである。

サイケデリックなファッションやミニスカートによって自由経済を否定したかった、という若者もあまりいないだろう。かっこいいから着ていただけだ。