江戸の市川團十郎もトリコになった『通俗三国志』とは?

局アナが語る「三国志の日本史」①
箱崎 みどり プロフィール

現代にも引けを取らない多様さ

一方で、『通俗三国志』は、長大な物語を、漢字カタカナ交じりの文章で綴っています。江戸時代に識字率は上がっていったにせよ、読むには、ハードルが高い人々も多くいました。

そのために出版されたのが、『通俗三国志』の絵入りのダイジェスト。

赤本・羽川珍重画『三国志』(享保6年、1721年)
黒本・鳥居清満画『通俗三国志(画解三国志)』(宝暦10年、1760年)
黄表紙・桂宗信画『通俗三国志(画解)』(天明2年、1782年)
読本・都賀大陸著・桂宗信画『絵本三国志』(天明8年、1788年)
黄表紙・十返舎一九撰『玄徳武勇伝』(享和2年、1802年)
合巻・十返舎一九撰、勝川春英画『三国志』(文化5年、1808年)
合巻・十返舎一九撰、歌川国安画『三国志画伝』(文政13年~天保6年、1830~1835年)
鈍亭魯文(のちの仮名垣魯文)撰著、歌川芳宗画『抜翠三国誌』(安政3~4年、1856~1857年)

などが繰り返し出版されました。現在、所在不明のものもあり、すべては確認できていませんが、読みやすいよう平仮名に改められたものが多かったようです。

中でも、「三国志」の日本での人気を爆発的に広げたのが、『絵本通俗三国志』。天保7(1836)年から天保12(1841)年にかけて出版されました。これは、『通俗三国志』を池田東雛亭が校訂したものに、葛飾北斎の弟子・葛飾戴斗二世が挿絵をつけたものです。

『絵本通俗三国志』は、三都で一斉に発売されましたが、大部であったため、貸本で多くの読者を得たと考えられています。名古屋や姫路の貸本屋の目録に名が残っています。

『絵本通俗三国志』は、二代目市川團十郎の時代よりも、かなり後のものではありますが、このように、「三国志」の世界が、どんどん日本で知られるようになっていったのが、江戸時代だったのです。

関羽を知っている観客が一定数いたからこそ、二代目市川團十郎が、長い髭に青龍刀を持った姿で舞台上に現れると、大好評を博した――、その反対に、舞台で関羽を知る人もいて、相乗効果もあったことでしょう。

「三国志」の世界は、歌舞伎だけでなく、浄瑠璃や川柳、パロディ小説、浮世絵、籠細工や麦藁細工、五月人形、幟旗、絵馬、祭りの山車などなど、現代にも引けを取らない多様さで、江戸時代の人々の生活になじんでいました。

「三国志の日本史」にとっての転換点

例えば、川柳。

「うろたえて曹操ひげを切ってすて」「この雪にばかばかしいと張飛言い」などは、曹操が馬超から逃げる際に目印になっていた自分のひげを切り落とした話や、「三顧の礼」で劉備が孔明を訪ねた際、同行した張飛が、孔明何ほどの者かと、降ってきた雪を見て帰ろうと言った話が、短い五七五の中にまとめられています。

「春秋を夏冬ともに関羽読み」は、関羽が春秋左氏伝を愛読していたことを、「桃園で関羽一人が飲んだよう」は、関羽の赤い顔を指し、人物像も詳しく知られていたことが窺えます。

「煤掃の孔明は子を抱いて居る」では、采配を振るばかりで戦闘に参加しない軍師の姿を、身の回りの行事・大掃除で楽をしている人物に当てはめて笑っており、いかに「三国志」が生活に身近な存在になっていたかが分かります。

これらの川柳を、100人いれば100人が分かった訳ではないのでしょう。現在の漫才で、世代や属性によって分かるフレーズ、分からないフレーズがあるように、「三国志」関連の文物は、皆が分からないまでも、多くの人に受ける素材だったのではないでしょうか。

江戸時代はほとんど戦争のない時代で、平和な世の中において、庶民の間でも、読み書きを学び、余暇に本を読む余裕を持つ人々が増えていきました。芸能や、普段の生活の中で、「三国志」にまつわるあれこれを目にしていれば、元のお話に興味が沸く人もいたでしょうし、元ネタを知っておかないと、という気持ちで、本を手に取った人もいたことでしょう。

今も、ゲームをきっかけに「三国志」にハマる人が多くいますが、当時は、「歌舞伎を観て」とか、「山車の勇壮さに魅せられて」といった理由で、「三国志」の世界を深く知っていく人がいた時代だったのかもしれません。

『通俗三国志』が日本の大衆文化に溶け込んでいった江戸時代は、今に続く「三国志の日本史」にとっての、大きな転換点だったのです。

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