世紀の発明「フラッシュメモリーを作った日本人」の無念と栄光

こうして彼は会社を追われた
週刊現代 プロフィール

飼い殺しにはならない

上司への直言も辞さない性格ゆえ、敵も少なくなかった舛岡を一貫して守り続けた武石の死は、社内での舛岡の立場を一変させる。

会社が舛岡に提示したポストは、研究所付の技監。研究所のナンバー2といえば聞こえはいいが、部下も研究費もない、いわば「閑職」だった。

「研究の場を失うのは、エンジニアにとって死を意味します。どうしても納得がいかず、自分の上司に不満をぶつけて3年間必死で抵抗し続けました。しかし、『命令に従わないなら一人で勝手にやれ』というのが会社の結論でした」(舛岡)

研究したいのにできない。「飼い殺し」ともいえる状況に耐えかねた舛岡は'94年、なかば追われるようにして23年間勤めた東芝を去り、東北大の教授職に就いた。

 

その後、事態は急変する。2000年代、パソコンの普及により、フラッシュメモリーの売り上げが爆発的に伸びたのだ。

'01年には市場規模は9兆円を突破。東芝は'01年にDRAM事業から撤退し、フラッシュメモリーに経営資源を集中させると発表。時代がようやく舛岡に追いついた。

たとえ会社から評価されなくとも、自らの信念を貫き続けた舛岡。その執念の果てに作られたフラッシュメモリーが使われ続ける限り、舛岡の栄光が色褪せることはない。(文中一部敬称略)

発売中の週刊現代では、このほかにも'04年に舛岡氏が東芝を相手に起こした訴訟の真意や、古巣への現在の思いなどについても特集している。

「週刊現代」2019年2月9日号より

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