あまりに先取りしすぎた
既存のメモリーは小さなデータをひとつひとつ「正確に」消去するのに大きなコストをかけていた。しかし使用する製品によっては、それほど細かい単位での消去を必要とはしない。
そこで、あえて「細かさ」を捨ててすべてのデータを一括で消去するメモリーを生み出せば、低価格を実現できるのではないか。営業経験を積んだからこそ見えた先見だった。
舛岡は、このアイデアを実現するため、予算の確保に奔走する。
「将来、家電をはじめとしてあらゆる製品において廉価のメモリーが必要になる。かならず成功させるので1000万円の予算をください」
しかし、当時は他社より少しでも高性能の製品を開発することが良しとされていた時代。あえて性能を落とすという舛岡のアイデアは、社内で受け入れられなかった。
「舛岡さんは、よく『小型のメモリーがあれば、将来、ジョギングしながら音楽が聴けるようになる』と話していたそうです。
しかし'80年代はまだCDプレイヤーが主流。時代を先取りしすぎたために、周囲からは『変人の夢物語』としか考えられていなかったのです」(前出・櫻庭氏)
だが、舛岡の才能を信じ、手を差し伸べてくれた人物がいた。かつて、舛岡を入社へと導いた武石だ。武石は当時、半導体技術所長を務めていた。
「武石さんは、『自分で考えて自分で行動しろ』と言う人でした。私が『新しいメモリー開発の資金がない』と相談すると、より資金の潤沢な他の部署のリーダーに、開発費をわけてくれるように交渉することを認めてくれました。普通はあり得ないことです」(舛岡)
'87年、舛岡はついに新しいメモリーの試作に成功。部品を減らしたことで、コストは従来の4分の1に低減。
カメラのフラッシュのようにデータを一瞬で消すことができることから、「フラッシュメモリー」と命名した。
だが、いざ製品化しようとすると、新たな問題が立ちはだかった。
「まだスマホもなかった時代。安価でコンパクト、かつ大容量のメモリーを作っても、市場がなかったのです」(前出・奥山氏)
時代の先を行き過ぎたがゆえに、製品化ができない。苦境に追い打ちをかけるように、舛岡に悲しい知らせが舞い込む。入社以来、ずっと舛岡の味方だった武石が亡くなったのだ。