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知ってますか? いま女性落語家が急増している、その背景

独特の難しさと可能性

東京方に24人の女性落語家

女性の落語家は増えている。

かつて東京方には、三遊亭歌る多と古今亭菊千代の二人だけだったのだが、それぞれが真打に昇進して弟子を持ち、そこそこ増えている。二ツ目の会でよく見かける。
でも、いま数えたら、私の知る限り東京方ではまだ24人ほどしかいない(前座という、半人前の落語家は入れてない)。たしかに増えてはいるのだが、うーん。そんなものか。

2018年末に放送されていたNHKのドラマ『昭和元禄落語心中』でも女性落語家が出ていた。

主要な登場人物の一人、成海璃子が演じる小夏が、最後は女性の落語家になっていた。一話から「姐さん、落語やんなよ」と勧めていた与太郎(竜星涼)の言葉を入れて、女流の落語家になったようだ。

第一話では、入門したての与太郎に稽古をつけているシーンがあった。落語家の子として生まれ、落語家の家で育った彼女はずっと落語漬けであり、落語をよく知っていたので、何もしらない見習いの与太郎へ落語を教えていた。

そのときの語りを聞いて、「女性落語家」 らしい姿が見えた。

 

「男流」落語家という名称がなく、「女流」落語家と呼ばれるには、それなりの理由がある。うちの社会における男女格差問題と根は同じであるが、落語はそもそも男のものでしかなかった。演じるのはみな男だし、客もだいたい男だった。そういう世界である。どうやら、うちの社会の特質と問題点は、そういう中世のような(近世でもいいんだけどその)システムをまだ現在も色濃く継いでいるところにあるみたいだ。

目指すべき「モデル」がいない

成海璃子はとても魅力的な女優である。

彼女の演じる小夏は、特に最終話は愛らしく、心に迫るものがあった。もともと持っている身体性に子役時代からのやさしい気配がついており、それでも突っ張って生きている女性を演じていると(このドラマの小夏がそうだけれど)とてもいい。惹きつけられる。

ただ、落語の喋りは、ちょっと変だった。

そしてそれは「女流」落語家の根本的な苦しさをもあらわしていたとおもう。

たとえば、男性の落語家の「うまい喋り」はモデルがある。岡田将生が昭和の名人を演じようとしたなら、先代桂文楽や、三遊亭圓生、古今亭志ん生、先代の柳家小さんなど、残された音源がたっぷりある。いろいろ聞いて身につければいい。しかし女性落語家の「名人だとされた喋り」は、いまのところ、まだない。モデルがない。それが出現する途上である。いきなり役者が考え出すことは至難だろう。

一話で彼女が話していたのは「野ざらし」、それと与太郎にせがまれて「死神」を少しやっていた。最終話では「寿限無」も見せた。

役者の演技と、落語家の喋りは違う。

役者は(特殊な場合をのぞき)誰かひとりになりきる。自分の感情もその役の人物に完全に切り替えればいい。

落語家は、すべての登場人物のセリフを話す。演技というより、心を込めた暗誦と言ったほうが近いかもしれない。(そう言ってしまうとちょっと変だけど)。他人になりきる役者とはかなり違う。