# 文学

「善」と「悪」を見分けられない時代に、犯罪小説を書く意味とは

警察は、もはや「正義の味方」ではない
長浦 京

独りよがりの善意がもたらすものとは

同じころ、身近でちょっとした出来事がありました。

子供を連れて小さな公園に行くと、ふたりの中年女性に話しかけられました。宗教の勧誘でした。熱心に誘われたのですが、お断りしました。

ただ、数日後に行くと、またも勧誘され、その中年女性たちと他の子連れのママたちとの間に口論が起き、警察を呼ぶ事態にまで発展しました。

 

警察が来たのは初めてではなく、しつこい勧誘に以前から苦情が寄せられていたそうです。その後も女性たちは勧誘を止めず、昼に子供連れの親たちが集まることもなくなってしまうと、公園にはホームレスが集まるようになり、女性たちは今度はそのホームレスを誘うようになりました。

しかし、勧誘を止めないことに腹を立てたホームレスに女性のひとりが蹴られるという事件が起き、公園は立ち入り禁止となり、一時的に町会の物置が並ぶ資材置き場になってしまいました。

今は元の静かな公園に戻りましたが、嫌な記憶の染み付いたその場所で遊ぶ人は、もうほとんどいません。

誰もいない公園は、自分の中に長く漠然とあった問いへの答えでもあるように思えました。

中年女性たちが善意で行動していたことは間違いないでしょう。しかし、他人の気持ちを無視した、あまりに身勝手な善意だったため、結局全員が不幸になった。

主人公はじめ『マーダーズ』の登場人物は、ほぼ全員が悪人であり、犯罪者です。ただ、私利私欲のために罪を犯した者はひとりもいません。倫理的には決して善人ではないのですが、彼・彼女を悪事に向かわせたのには、その人なりの善意と思いやりに裏打ちされた理由がある。

その善意と思いやりが、どんな行動を起こさせ、最後にどう帰結するのか──よろしかったら実際に本を手に取り、ご自身の目で確かめてみてください。

善意と悪意の見た目、匂い、手触りに大きな違いはあるのか? 自分は本当にその二つを見分けられるのか? 人を助けるとは、人に助けられるとは、本当はどういうことなのか?

『マーダーズ』の中に、新しい犯罪小説のかたちを少しでも見出していただけたら、何より嬉しいです。