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「善」と「悪」を見分けられない時代に、犯罪小説を書く意味とは

警察は、もはや「正義の味方」ではない

警察は、正義の味方ではない

逮捕されず存在も摑まれていない凶悪犯が、警察ではない第三者に犯罪の証拠を突きつけられ、まったく無関係な事件の捜査を強要される──。

 

新作『マーダーズ』冒頭の展開です。

犯罪を題材にしたミステリー作品を書きたいと以前から思っていました。一方で、犯罪に一番近い場所にいる警察関係者を主役にすることには違和感がありました。

神奈川県警や京都府警、それに東京地検特捜部の不正・不祥事を持ち出すまでもなく、警察・検察は正義と法の守護者ではなく、自分たちのミスをごまかしながら、与えられた仕事を処理しているだけの組織に過ぎないと、今では誰もが知っている。

ビデオカメラやボイスレコーダーの進歩で、証拠の捏造や証言の強要が、単なるうわさレベルではなく、実際に行われていたことも暴かれてしまった。

すべての警察官が不正をしているとはもちろん思っていません。ただ、こんな時代に、信条と信念をもって事件を追い続ける警察官の姿を描くことに、どれだけのリアリティがあるのか?

警察官としてのプライドとか、被害者とその遺族の無念を晴らすためとか、そんなわかりやすい動機が、犯人をどこまでも追い続ける原動力になるとは僕には思えなかったのです。

もっといえば、職務として事件を追っている人々の姿に美学を見出すことがどうしてもできず、作品のために被逮捕経験者や元警察官の方々に内情を聞かせていただくたび、その思いは深まっていきました。

同時に、警察官や探偵を主人公にしても勝てっこない、という単純な思いもありました。すでに世の中には素晴らしい警察小説が溢れている。学者から商店主まで、専門ではない異業種の人々が事件を推理する魅力的な作品も数多くある。

そこに後発として自分が首を突っ込んでいっても、既存作を上回る魅力的なものを生み出せるとは到底思えませんでした。

考えた末に辿り着いたのが、主人公は罪が暴かれていない犯罪者で、その主人公を突き動かしているのは、自分自身が破滅するかもしれないという強い恐怖心、という設定です。