私がわざと業績を落としたワケ…「数字を無理に伸ばさない」経営術
「会社が潰れる恐怖」すら手放そう「やめ時」を見きわめる
「本質に照らす」「ありえないことを目指す」、この2つを基準に「余計なこと」をやめてみた。それでもついつい余計なことに時間を取られてしまう……。気づけば、元の黙阿弥。毎日が忙しく、視界が曇ったまま目の前のことに忙殺されている……。

そんなときは、「カッコイイ人」や「いい人」になろうとしていないかどうかをチェックしてください。
私も何度もありました。例えば、イタリアンレストランからガトーショコラ専門の店にシフトしたとき。もともとはイタリアンのシェフなのに、スイーツの店にシフトする、しかもたった1アイテムだけの店にしてしまったら人にどう思われるか。それこそ飲食業の世界を教えてくれたかつてのボスに申し訳ない……。失敗したら恥ずかしい……。そういった思いが頭をかすめました。
その前のディナータイムを宴会だけに絞ったときも、宴会だけのレストランなんてみっともないと躊躇する思いがありました。
いまでは私はガトーショコラを焼く仕事もスタッフに任せていますが、そのときも「シェフとしてスタートしたのに料理をやめるなんて、人にどう思われるか」と思う気持ちがなかったと言えば嘘になります。
でも、それぞれの場面で、そういった思いを振り切ったからこそ、店を潰さずにすみました。
人にこんなふうに見られたい、世間にこう思われたいという見栄は、プラスに働くこともありますが、往々にして足を引っ張りがちです。
余計な気遣いも禁物です。パフォーマンスの悪い社員を「辞めさせるのはかわいそう」と雇い続けていたら、小さな会社は持ちません。当人にとっても、他の場所なら輝けるかもしれないのに、あなたが余計な温情をかけるせいでそのチャンスに出会えない、とも言えるのです。
仕事の中に、見栄や気遣いに由来し、惰性的に続いているものはありませんか?
それを自覚できたら、「やめ時」です。迷ったら、自分の胸に手を当てて、本質的にやりたいことに向かって進むのか、周囲の目を気にしながらその場限りのことに調子を合わせて生きるのか、よくよく考えてみてください。
見栄や気遣いのほかに、もう1つ、余計なことだとわかっていてもやめられないときに湧き起こってくる感情があります。
それは「恐怖」です。
「業績向上に縛られるのは“余計なこと”」だとお伝えしていますが、数字への呪縛を招いているのが、まさにこの「恐怖」です。
もっともっと頑張って、もっともっと数字を伸ばして、もっともっと内部留保を作らないと。そうしないとライバルが攻めてきたり、自分が病気になるかもしれないし、時代が変わって、会社が潰れるかもしれない! そうしたら、社員は路頭に迷い、家族は不幸になり……。
こういったネガティブな想像力は、なぜかみなさんとても豊富です。