カプセル化された「世界」を突き抜ける〝天然知能〟とは何か?

人工知能には到達し得ない領域へ
郡司 ペギオ 幸夫 プロフィール

「赤頭巾」が媒介するもの

一個と全体を双眼鏡の右目と左目のように使って、外部を窺う。そうやって招喚されたものの一つが言語です。

認知言語学で取り上げられるようになった換喩を考えてみます。

換喩とは、一つの概念の示す一つの性質が、全体を略奪してしまう比喩表現です。童話「赤頭巾ちゃん」の一つの性質に過ぎない「赤頭巾」というコスチュームが、この童話全体を表すのは典型的な換喩の例です。

換喩は、言語学的特徴以上のものです。認知言語学は、「赤頭巾」という、童話の全体にとってごく一部の一個の属性が、全体を示すようになったと考えます。

そうでしょうか。「赤頭巾」が特殊な言語ではなく、言語はすべて本源的に「赤頭巾」なのではないでしょうか

一個と全体の間を黒々とした外部に向けて開き、我々はこの罠にかかるものを待ち構えている。一個でありかつ全体であるという矛盾ではなく、一個と全体を適当に不用意に媒介するものが、この罠にかかる。

こうして物語の全体と、物語の構成要素である一個を、不用意に媒介する「赤頭巾」がとらえられたのです。

不用意であるがゆえに、或る場合には端的なコスチュームであり、或る場合には物語を封緘する。しかし不用意であるが故に、オリジナルの童話とは無関係な、別の物語さえ指し示してしまう。

言語が発生して「赤頭巾」という換喩が使われるようになったのではなく、換喩を本質とする認知が、ことばを、言語を招喚したのです。その中で最もわかりやすく一個と全体を媒介するかにみえる言語使用の例、「赤頭巾」が、「換喩」と呼ばれたのです。

一個と全体のギャップ=罠こそが、我々の認知の根底にある。この罠が、言語、記号を招喚したというわけです。言葉や記号は、一個であり全体でありながら、その意味を変容させる不定な実体なのですから。

 

カプセル化された「世界」を突き抜ける

哲学は、前述のように全体と一個を一致させようと試みましたが、数学はむしろ分離してきました

全体は「すべての」・「かつ」という論理演算子であり、一個は「存在する」・「または」という論理演算子です。両者を明確に分離しておいて、「すべての〜には─が存在する」といった論法を使って、数学は連続性などの概念を構想してきたわけです。

哲学は「世界」の記述を試み、数学は「世界」の外部を構成する手段を試みたのです。人工知能やブロックチェーンは、数学を世界記述の方法として使い、カプセルに入った「世界」として自らの世界を拡張するのです。

天然知能は、数学のように外部を招喚する罠を構築しながら、数学のように直接、外部を構成しようとはしません。

天然知能は哲学が夢想した全体と一個の媒介を、自ら作るのではなく外部から招喚します。この徹底して受動的な構えを能動的に構成することで、天然知能はカプセル化された「世界」の外部へ突き抜けていくのです。