そして「生命2.0」への道(後編) 体に刻まれた宇宙の非対称性

生命1.0への道 最終回
藤崎 慎吾 プロフィール

「対称性の破れ」を利用する生命

この連載を通じて、登場していただいた研究者のほとんどは生物学か化学畑の出身者だった。高橋さんは最初で最後の物理学畑の出身者である。京都大学の理学部を出て、大学院では「プラズマ分光学の研究室で、加速器のイオンビームから出る光を分光するようなことをやっていた」という。素粒子物理学とまではいかないが、大雑把に言えば「原子や分子についての研究」が専門らしい。

大学院を出てからはNTT(日本電信電話株式会社)の研究所に勤務していた。初めは紫外線を使って半導体の薄膜をつくったり、それを削ったりする技術の基礎研究をしていたという。そのうちに加速器から出る放射光(高速電子が磁場で曲げられるとき、その進行方向に放射される電磁波)も使い始めた。

今はなくなってしまったが、NTTも加速器(放射光リング)を持っていた時代がある。半導体回路製造用の蓄積リングと、電子を加速するための加速リングがあったのだが、建造後しばらくして蓄積リングの稼働が本格化すると、加速リングのビームライン(放射光を取りだす一連の装置)が、あまり利用されなくなってきた。

それを自由に使っていいというので、高橋さんは、それまでの本業とは別のテーマを探し始めた。そのときに同僚を介して出会ったのが、第1回から第3回までご登場いただいた横浜国立大学教授の小林憲正(こばやし・けんせい)さんである。

もちろん生命起源の研究とは無縁だった高橋さんだが、面白そうだというので小林さんと共同研究を始めた。一応、放射光を使っての「モノづくり」という名目は立てたが、実際につくるのはアミノ酸の前駆体だったりする(第3回を参照)。あまりNTTの事業に役立つとは思えないが、大らかな時代だったのだろう。

そして次第に自由な研究がしづらくなってきたNTTを退職してからは、小林さんのいる横浜国立大学を拠点の1つとして、生命の起源に関する研究を続けている(注3)。今やろうとしているのは、アミノ酸に円偏光紫外線やγ線、β線(電子線)、ミューオンの粒子線(ビーム)などを照射して、左手型と右手型の量に偏りができるかどうかを検証することだ(写真2)。

注3)主な拠点は京都で、そこから各地の加速器に出かけていく「加速器ノマド」みたいな生活をしている、という。

【写真】高橋淳一さんと坂元俊紀さん
【写真】白い粉末状の試料
  写真2 広島大学放射光科学研究センターの加速器(HiSOR)を使った実験をしている高橋淳一さんと、横浜国立大学4年生の坂元俊紀さん(上、提供/高橋惇一氏)。白い粉末の試料(アミノ酸)を五円玉のようなホルダーの穴に詰めて、加速器からの粒子線に当てる(下)

β線やミューオンのビームは光ではないので、もちろん「偏光」はしない。しかし「スピン偏極」といって、たとえばβ線の場合は、飛んでくる粒子の自転が進行方向に沿って左回りに揃っている。右回りのビームは、人工的につくることはできても自然界には存在しない。そこが光とは異なるところだ。

β線は超新星爆発によって大量に放出されるし、隕石の母体となる小惑星などの表面からも出ていると考えられている。また、ミューオンは普通に宇宙を飛び交っており、これを読んでいるあなたの体を1秒間に100個くらい通過しているという。これらのビームにさらされることで左手型のアミノ酸が多くなるのであれば、宇宙のどこであっても、タンパク質を使う生命は必ず同じホモキラリティを持つことになる。つまり偶然ではない。

我々は往々にして、左右対称な図形や物体に「美」を感じる。人間の体が右と左で大きく異なっていたら、違和感を抱かざるを得ないだろう。我々が存在しているこの「宇宙」も、できればいろいろな意味で「対称性」が整っていてほしい。実際に古典力学の見地では多くの点で対称なのだが、よくよく見ると、人体が完全な左右対称ではないのと同様、宇宙にも所々に「対称性の破れ」がある。

β線やミューオンのビームにスピン偏極があるのは、そうした対称性の破れの結果だ(図2)。専門的には「パリティ対称性の破れ」と呼ぶ。パリティというのは「空間反転」のことで、ごく大雑把に言うと「鏡に映した空間でも物理法則は同じか」という問題だ。もし、これが対称だったらスピン偏極は起こらず、β線やミューオンのビームには左回りも右回りも同じだけあることになる。実際は、そうではない。

どうしてなのかは、まだわかっていないが、おそらくはこの宇宙の根本的なありように起因しているのだろう。それが、もしアミノ酸やリボースのホモキラリティに影響しているのだとすれば、我々の体には宇宙の対称性の破れが刻みこまれていることになる。またホモキラリティなしにタンパク質や核酸ができなかったことを考えれば、生命は対称性の破れを利用して生きているとさえ言えるはずだ。

【図】放射性同位体の原子核が崩壊によって電子を放出する様子
  図2 放射性同位体の原子核が「β崩壊」によって電子(β線)を放出する様子。このとき、原子核内の中性子が陽子と電子および反ニュートリノに転換し、陽子は原子核内にとどまる。β崩壊は素粒子間の「弱い相互作用」によって起きるが、その対称性は破られている。結果として、電子はスピン偏極したβ線になる

「生物学者は分子のレベルから生命への進化を考えていると思いますが、我々(物理学者)は素粒子から原子になり、分子になり、生命になっていくという各階層の間が漸近的なのか、何かジャンプがあるのかというところに興味がある。そう思い始めたのはキラリティの問題に出会ってからです」と高橋さんは言う。

対称性の破れは、素粒子から分子に至る過程に何があったかを解明するヒントになりそうだ。そもそもβ線のスピン偏極をもたらしたのは、素粒子間の「弱い相互作用(注4)」におけるパリティ対称性の破れなのだが、それを考慮しながら理論的に計算すると、左手型のアミノ酸が右手型よりわずかに安定的だという結果も出ている。もしそうならβ線やミューオンのビームが関わっていなくても、左手型が残りやすいのは同じかもしれない。高橋さんらの研究によって、そうした可能性が絞りこまれていくだろう。

注4)物質の基本的な相互作用には、重力相互作用(重力)、電磁相互作用(電磁力)、弱い相互作用(弱い力)および強い相互作用(強い力)の4種類があるとされている。このうち弱い相互作用は、重力相互作用に次いで弱い。

インタビュー時、東海村にあるJ-PARCセンターの加速器で行う実験を控えていた高橋さんに、「生命2.0」のイメージを聞いてみた。

「我々が理解も発見もしていないが、共通の物理法則を使っていて、見えるような形で空間に殖える生命なら、何らかの非対称性を引っ張っていそうな気がします。今、我々はたまたまホモキラリティを使って、うまくやっていますが、また別の非対称性を使っている生命がいるかもしれません」

ちなみに対称性の破れ(非対称性)にはパリティばかりでなく、日本人3人(うち1人は米国籍)にノーベル物理学賞をもたらした「CP対称性の破れ」や「対称性の自発的破れ」など、ほかにもいくつかある。それらが生命にどう影響しているか(あるいはしていないか)は、まだはっきりしていない。

「破れのどこを使っているかの問題で、素粒子から原子、そして分子へと階層が変わっていくうちに、どこかで枝分かれしていくこともあるのではないでしょうか」

と高橋さん。

「もちろん同じ化学の土台を使うんですが、別の対称性(の破れ)を持ったものが出てきても、おかしくはない。我々が直感的には理解できない、たとえば超弦理論の11次元(注5)みたいなところで非対称性を持っている一群がいるかもしれません。やはりアミノ酸とリボースの非対称性は持っていて、我々からは同じように見えるのだが、実はもう一つ非対称性を持っている生物があっても、おかしくはないでしょう」

注5)アインシュタインの相対性理論は、宇宙が空間の3次元と時間の1次元、合わせて4次元からなるとしている。一方、相対性理論と量子力学を統一するために提唱されている「超弦理論」や「M理論」では、10次元あるいは11次元からなることを想定している。

普通、進化による枝分かれは生命の誕生以降に想定されている。しかし前々回から今回にわたって見てきた通り、最近は化学進化の過程でもさまざまな「生命0.5」が誕生したと考える研究者が出てきている。ただ分子以前の段階でさえ、そういうことが起きうると言うのは、今のところ高橋さんだけだろう。

対称性の破れによる枝分かれは今この瞬間も、これからも、あったっていいはずだ。もし、あなたの隣りにいる誰かさんが、まったく理解できないような言動を繰り返していたら、頭の中に別の「対称性の破れ」を抱えている「生命2.0」なのかもしれない。……いや、それはちょっと意味がちがうだろうか?