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そして「生命2.0」への道(後編) 体に刻まれた宇宙の非対称性

生命1.0への道 最終回
絵・米田​絵理

ブルーバックス公式ウェブサイトのリニューアルと同時に始まり、1年以上にわたって続いてきたこの連載も、今回がいよいよ最終回です。

実は、当初は10回完結の予定だったのですが、「生命1.0への道」をたどる旅は予想を超えて興趣が尽きず、倍近い長さとなりました。これまでのみなさまのご愛読に、そしてアンケートへのご回答にも、心よりお礼を申し上げます。

最後に展開されるのは、フィナーレにふさわしい壮大な話です。生命の起源における「最大の謎」について、素粒子レベルから、宇宙のスケールに至る物理学の視点で考えている研究者が登場します。

生命科学と物理学が融合した、見たこともない景色をご覧いただいたあとで、あらためて「生命とは何か」をご一緒にお考えいただければ幸いです。

生命の起源における「最大の謎」

昨年のうちに完結するつもりで、だいぶ引っ張ってしまったのだが、いよいよ最終回である。「取り」をつとめていただくのは、生命の起源を語るとき、しばしば「最大の謎」とされる問題に取り組んでいる研究者だ。その研究内容を紹介する前に、どういう謎なのかを説明しておきたい。

前々回、生命が4種類の核酸塩基を使っていることや、そのうちの3種類の配列で遺伝暗号をつくっていること、そして20種類のアミノ酸だけを利用していることなどが、あらためて考えると不思議だという話をした。そういう意味で、もう1つ不思議なことがある。それは生命が「左手型」のアミノ酸と、「右手型」のリボース(糖)を主に使っていることだ。

何のこっちゃと思う人は、自分の両手をじっと眺めていただきたい。左右どちらも同じ形をしているが、決して重ね合わせることはできない。もちろん掌を、ぴったり合わせることはできる。もし手が紙のような2次元だったら、それで左右が「1枚」に重なってしまうだろう。しかし実際の手には厚みがあり、表と裏は異なっている。それを考慮して、重ねる方法を見つけてほしい。たぶん無理だろうが。

分子にも3次元の構造がある。左右の手はお互いを鏡に映したような関係になっているが、構造の上で同様な関係にある分子も存在する。それを「鏡像異性体」と呼び、一方を「左手型(L体)」、他方を「右手型(D体)」と呼ぶ(注1)。また、そういう関係性があることを「キラリティ」という(図1)。

【図】キラリティがある分子(アミノ酸)の左手型と右手型
  図1 キラリティがある分子(アミノ酸)の左手型と右手型を表した模式図

注1)アミノ酸は炭素原子(C)を中心に、水素原子(H)とカルボキシル基(COOH)、アミノ基(NH2)、そして側鎖(R)という3種類の原子団が立体的に配置された構造をしている。このときHから見てCOOH-NH2-Rがこの順で右回り(時計回り)に並んでいる場合は「右手型」の鏡像異性体、左回り(反時計回り)に並んでいる場合は「左手型」の鏡像異性体と便宜的に定められている。

生物の体でタンパク質のもとになっている20種類のアミノ酸は、グリシンを除けばすべてにキラリティがあり、左右の鏡像異性体のうち左手型だけが使われている(動画1)。また核酸の構成分子であるリボースにもキラリティがあって、こちらは右手型だけが使われている。このような偏りを「ホモキラリティ」と呼ぶ。

  動画1 アラニンというアミノ酸の左手型と右手型

左右どちらの鏡像異性体も物理化学的な性質は、ほぼ同じだ。また生物の関わらない環境でキラリティのあるアミノ酸やリボースをつくれば、右手型も左手型も必ず同じ量だけできてしまう。どちらか一方が多くなることはない。生命誕生前の原始地球でも、そういう状況だったとすれば、なぜ生命は一方の組み合わせだけを使っているのか? それが「最大の謎」である。

分子の物理化学的な性質が同じなら、右手型のアミノ酸と左手型のリボースを使っても、おそらく我々と似たような生命は誕生したはずだ。しかし現在の地球上には(今のところ)見当たらない。ちなみに左右両方のアミノ酸やリボースを混ぜてしまうと、タンパク質や核酸は、ちゃんとした形をとれないので、生命は生まれないと考えられている。ホモキラリティ自体は必要なのだ。

原因としては、いくつかの仮説が立てられている。1つ目は「単なる偶然」で、まあ仮説というほどではない。それが事実なら謎も謎ではなくなってしまう。

2つ目は「ホモキラリティの組み合わせが異なる2種類の生命が誕生し、生存競争のあげくに一方が滅びた」とする説だ。しかし食べ物に関する限り、両者に競争は成り立たないという弱みがある。左手型アミノ酸の生命は、左手型アミノ酸でできたタンパク質しか食べられないし、その逆も真だからだ(注2)。

注2)右手型を左手型に変換する酵素を持っている生物は存在する。

3つ目はキラリティのある分子が無生物的にできたとき、実は左右の鏡像異性体の量に、わずかな偏りがあったとする説だ。その原因についても、いくつか説がある。現在、最も有力なのは「円偏光」説だ。

第1回第4回で、生命の材料となるアミノ酸や核酸塩基などの一部が、宇宙からもたらされた可能性について述べた。それは小惑星や彗星の上、あるいは星間ガスの中などで、そうした有機物が生まれたことを前提としている。このとき、右回りか左回り、どちらかに振動の方向が回転する(円偏光する)光を浴びると、鏡像異性体の量に偏りができる可能性がある(動画2)。

  動画2 左回り(反時計回り)に円偏光している光を模式的に表したアニメーション

星雲の中心で星が生まれている領域や、中性子星などからは、実際に円偏光する紫外線や赤外線が観測されている(写真1)。宇宙で生まれた有機物に、そうした円偏光が当たって偏りができ、その状態のまま原始地球に降り注いできた可能性はあるはずだ。現在も隕石の中に見つかる、ごく一部のアミノ酸については、左手型のほうが多いと確認されている。

【写真】オリオン大星雲
【写真】「近赤外線偏光観測装置」での観測写真
  写真1 オリオン大星雲の中心部分(上)では多数の星が生まれている。この領域を国立天文台が「近赤外線偏光観測装置」で観測してみたところ、太陽系の大きさの400倍以上にもわたって円偏光が大きく広がっていた(下:提供/国立天文台)。黄色っぽい部分が観測者から見て左回り、赤っぽい部分が右回りの円偏光を示している。色が明るいところほど偏光が強い

ただ円偏光する光自体に偏りがあるわけではない。右回りする光も、左回りする光も、おそらく同じだけ宇宙を飛び交っている。つまり、もし左手型を増やすのが左回りの光と仮定したなら、それを浴びる確率は右回りの光を浴びる確率とまったく同じで、結局は「偶然」ということになってしまう。

それはそれで、かまわないと言えば、かまわない。宇宙のどこかには我々とは逆のホモキラリティをもつ生命が、いるのもしれない。それも「生命2.0」のうちだろう。幸い、いつか彼らと接触する日が来ても、我々が「餌」にされる心配は(ほぼ)ないはずだ。

一方で単なる偶然ではなく、タンパク質と核酸でできた生命が、必然的に全宇宙で同じホモキラリティを持つ可能性も、まだ残されている。それを追求しているのが、横浜国立大学大学院工学研究院の高橋淳一(たかはし・じゅんいち)さんだ。