80歳を超えても人間の肉芽は復活する

さて、父の額の肉芽は、肉芽形成促進スプレーの助けを借り、けっこう順調に人工真皮の中で育ち始めた。約1週間後の形成外科の診察で「これなら移植手術ができるかもしれない」といわれ、怪我の2週間後には8月末の手術が決まった。

人間の体とはすごいものだと心底思う。80歳を超えてなお、額の周囲の肉芽組織からもやもやとしたピンク色の組織がのびてきて、露出した骨の面積をじわじわと縮め、ほとんど肉芽で覆ったのだから。怪我から1月後の手術は、周囲の皮膚を寄せ集め、腿の皮膚を最小限の大きさで移植し成功。皮膚を寄せたことで傷口が半分ぐらいになったことはもはやミステリーである。

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しかし、「おでこが骨」のままの1か月は本当に恐ろしかった。本人は痛みがないので、歩き回るし買い物も行きたがる。ようやく入院できた病院は2週間で退院せざるを得ず、そこからは、介護保険適用の看護師さんのいる「小規模多機能型居宅介護(注①)」の施設に宿泊、手術前後はそこで傷の洗浄とケアをしてしのいだ。

手術後は、移植した皮膚が落ち着く前に触って取れてしまったら再度の手術はできないと言われていたので、生きた心地がしなかった。手術による、一時的な意識障害である「せん妄状態」にもなった。だから、手術の2週間後ぐらいに「移植した皮膚が落ち着いた」といわれた時には、ばったりと倒れそうなほど安堵した。

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「事件」があって気づくことができたこと

冬になり、新年を超えても、私の中ではまだ夏が続いている。9月後半から家に戻った父は、今回の「事件」を機に見つけた小規模多機能型居宅介護の通所や見守りを組み合わせ、基本は家で生活している。せん妄状態と長く家をあけていた影響か、帰宅当初の父は棒立ちで、家での習慣はほぼ忘れていた。少しづつそれが戻ってきて、年を越した今は、何とか家の中でなら、自分のことは自分でできるまでになっている。

私は未だ、長い時間家をあけるのが不安で、仕事がなかなか前のペースに戻れない。困ったところではあるが、少しずつそれも改善中だ。施設に入れようにも本人が了承しないし、入所となると難問も多いので、いけるところまでは自宅で、と決めた。が、認知症は基本は後退していく病なので、「落ち着いた」と思って油断していると、思いもかけぬことを父がするので突き落とされる気分になることもしばしば。何とも気持ちの持ち方が難しい。

この出来事は天からの警鐘だったと思うことにした。惨劇ではあったが、父は回復したし、人を傷つけたわけでもない。これを機に現在の通所と見守りの多い「人の目がある」安全な日々に移行できた。

歩くのは健康にいい、と医師もケアマネさんも言い、私もそう思っていたが、事件後に近所の方から父が外で信号無視をして歩いていて心配だったと聞き、実は一人で外に出るのは限界だったこともわかった。今は買いものも誰かを同行する環境になったので、もろもろ不幸中の幸いだったと思うことにしている。そして、運転をやめていて本当によかった。

今回のことで知った人体の神秘。人間の肉芽は80歳をすぎてなお成長する。そして「おでこが骨」でも、人間はある程度は普通に生活できる。万が一、転んでどこか大きく皮膚が裂けても、体についてさえいれば、病院で縫えて治療はすみやかに終わる。もし私がそうなったら、何食わぬ顔で状況を保存して病院にいくことだけは心に決めている。

注①「小規模多機能型居宅介護」:介護保険の制度で、同一の介護事業者が「通所」「訪問」「宿泊」をまとめて提供できる地域密着のサービス。ただし事業所によってサービス内容は異なる。