国際結婚の私ですら、単身で帰省するとまず「だんなさん、偉いね!」と夫が褒められる。家が荒れるでしょう、ご飯はどうしてるの、子どもたちはそれで寂しくないの……と、「母親が留守にする異常事態」へのご心配がしばらく続く。相手が私より上の世代であればあるほどそれは顕著だ。そしてその会話の度に、私の頭にはいつも同じ疑問符が浮かぶ。 

どうして?

子どもは二人で授かったものでしょう? 夫は大人なんだから、一通りの家事は自分で出来て当たり前でしょう? なぜ夫がすると「偉い」で、私がするのは「当然」なの?

どうして? ただ夫が男で、私が女だから?

それでも私は会話の中で、その疑問を口に出したことは一度もない。作り笑いを浮かべながら、黙って話の調子を合わせてきた。日本はそうなのだ、と骨身に沁みて知っているから。

日本社会において、母親と父親は同じではない。同じ成人でも、年齢が学歴が社会人歴が同じでも。男と女は「等しく一人の人間」ではないのだ。

男も女もない、はずだった

男と女は「等しく一人の人間」ではない。私がそれを痛感したのは大学卒業後、就職をしてからだ。もちろん生物学的な性差の話ではない。成人として社会で担う役割についてだ。

「勉強をして、いい学校に行って手に職をつけて、自立すること」。

昭和49年生まれの私は、物心ついたときから、大人になるとはそういうことだと教わってきた。共学校で男女は区別なく机を並べ、同じ科目を勉強し、同じ給食を食べ、同じように部活動をした。保健体育や技術・家庭科など履修科目に多少の違いがあっても、そこに意識すら向かなかった。

同級生の多くは専業主婦世帯で育ち、母親たちは節約と内職で家計を支えつつ、口を揃えてこう言った。「結婚しなくても食べていける経済力をつけて欲しい」「これからは女の子も自立しなくちゃね」。

勉強の得意な子は四年制大学からの大企業就職コース、そうでもない子は職業系の高校や専門学校からの技能取得コースが用意され、いずれにせよ「働く」ことが、女子学生の将来設計の基本だった。

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大学受験は1990年代前半。少数派だった共働き世帯数が増加し、専業主婦世帯数に並んだ。女性の大学進学率も(短期大学込み)、男性のそれを追い越した頃だ。「女性も、男性並みに社会でやっていける」、そう刷り込まれて育っていた。

第2次ベビーブームで203万人いた同級生との受験戦争は熾烈で、おまけに高校時代にバブルが弾けたものだから、就活は氷河期真っ只中。もがきつつもなんとか内定をもらい、新社会人になった。就職先の教育系出版社で、部署の同期は女性二人に男性一人。これまで通り男も女もなく、並んでの社会人デビューだと思った。

が、それは幻想でしかなかった。

仕事の割り振りは男女関係なくされたはずなのに、机の配置や資料配布など、会議の雑用的な事前準備には女性社員だけが呼ばれる。飲み会となればお酌は当然、女の役目だ。取引先との会食では、お天気の話題と同じノリで「彼氏いるの?」。酒が進めば下ネタも進み、容姿や体型に絡めて性経験を聞かれることもザラだった。

その間、男性の同期は年上社員に将来の夢を熱く語り、説教を受け、競馬やプロ野球の話題に花を咲かせている。ああ、私もそっちに行きたいな……何度そう思ったことだろう。

それでも当時の私は、大きな疑問を抱くことすらしなかった。「社会」という大きな仕組みの中では、これも致し方ないこと。適応しなければ生きていけない。そう言い聞かせて新人の1年を勤めた。