鳥類学者、アホウドリを再生す!

絶滅から復活を果たした42年の奮闘記
三島 勇 プロフィール

給料や休暇も調査のために費やして

しかし、現実は厳しかった。

鳥島への渡航費用をはじめ、資金がまったく不足していた。当時の文部省(現・文部科学省)などの公的資金は、生物保護などの長時間を要するフィールドワークには向かない制度だった。長谷川さんは、一般向けや子供用の本を書き、講演も積極的に行った。それらの印税や講演料をもとに基金を設立した。

基金は、八丈島から約300km離れた鳥島に渡る漁船のチャーター代などにあてられた。上陸調査は年に2〜3回。繁殖期の11月上旬から12月下旬には、つがいを数え、行動を観察した。

3月下旬には、ヒナに個体識別の足環をつけた。非繁殖期の6月には、コロニーで営巣地整備のための土木作業を行った。長谷川さんは基金に加えて給料の一部を充当し、勤務先の大学の休暇のほとんどを調査に費やした。

乱高下する繁殖成功率

調査を重ねていくと、砂地で脆弱な旧コロニーに、草を植えるなどして安定化させるだけで、繁殖成功率が上昇することが判明した。現地調査にもとづき、長谷川さんは、当時の環境庁(現・環境省)に対し、営巣地整備を提案した。

これを受けて環境庁は1981年と82年に、燕崎の裸地にハチジョウススキやイソギクを移植した。結果はすぐに現れた。繁殖成功率は、移植前の44%から、移植直後に50%になり、植物が生育した後には67%に上昇した。15羽だったヒナは、1985年には51羽になった。

ところが、1987年に大型台風による地すべりが起き、営巣地に泥流が流れ込んで植物が枯れた。卵やヒナが泥流で流されたり、泥に埋まったりした。卵は割れ、ヒナも死んだ。繁殖成功率は50%を切り、移植前の数字に戻ってしまった。

悲惨な状況を目の当たりにした長谷川さんは、旧コロニーの再整備を提案した。「従来コロニー保全管理計画」である。

環境庁と東京都は1993年、大型ヘリコプターや台船を使って、3台のパワーショベルを燕崎に持ち込み、泥流を止めるための大規模な砂防工事を実施した。翌94年から2004年までの11年間、排水溝にたまった土砂の除去も続けた。

穂が黒くなり、種子に伝染していく黒穂(くろぼ)病にかかり、生育しなくなったハチジョウススキに代え、シバやチガヤを移植する植栽工事も行った。

抜本的な環境整備は、目覚ましい成果を生んだ。

1997年の繁殖成功率は67%に回復し、1999年4月には、総個体数が1000羽を超えた。アホウドリの回復が、ついに軌道に乗ってきた。

新しい繁殖地をつくれ!

長谷川さんが行ったもう一つの提案に、「新コロニー形成計画」がある。

島の北西部にあるサツマイモ畑だった土地に、旧コロニーから巣立った若鳥を呼び寄せ、繁殖させようというものだ。アホウドリの実物大模型(デコイ)を置き、求愛音を流して誘い込む手法で、「社会的誘引法」とよばれていた。

全米オーデュポン協会のスティーブン・クレス博士が、ニシツノメドリの繁殖集団を再生させるために、猟師が鳥をおびき寄せ、捕獲する手法を逆手に使ってつくった。ほとんど例のない試みだったため、当初は計画の成功は難しいと見られていた。

【写真】新コロニーに設置されたデコイ
  新コロニーにアホウドリを呼び寄せるために設置されたデコイ(写真提供:長谷川博さん)

環境庁は、この新コロニー形成計画を中・長期的に考えていたが、「気の短い」長谷川さんは1992年から、山階鳥類研究所と協力して計画を開始した。「発展期」の始まりだったが、5年間は足踏み状態が続いた。長谷川さんはこう話す。

「求愛音に加えて、コロニーの賑わい音声の2種類を流し、デコイも当初の41体から50体、60体、70体……と増やしていった。卵の模型も置いて、できる工夫はなんでもしましたよ」

苦境のあいだにも、光明はあった。

冷たい雨が降っていた1995年12月3日、5歳のオスと4歳のメスが、白色の卵1個を抱いていた。望遠レンズで撮影した写真は、見事な「ピンボケ」だった。「興奮してシャッターを押したから」と、長谷川さんは笑う。

初めての産卵まで5年はかかると見ていたが、3年で達成した。旧コロニーでヒナが増えれば、新コロニーにも若鳥が集まる──長谷川さんはそう考えていた。

その見立てどおり、旧コロニーにおけるヒナが100羽を超えた2002年から、新コロニーに飛来・着陸する若鳥が目に見えて増えた。やがて、つがいも増えていく。

2005年から産卵数が上昇し、役目を終えたデコイと音声装置は2006年に撤去された。2017年に卵341個、ヒナ267羽が確認され、繁殖成功率は78.3%と、旧コロニーを上回った。

「あと数年もすれば、新コロニーのつがい数が、旧コロニーのそれを上回る可能性が高い」長谷川さんはこう予測する。

【写真】燕崎の崖の中段からコロニーを観察
  燕崎の崖の中段からコロニーを観察(2005年11月 写真提供:長谷川博さん)

小笠原諸島への「移住」計画

私は、読売新聞科学部の記者だった2000年3〜4月、長谷川さんへの同行取材で鳥島に渡り、2つのコロニーを訪れた。

旧コロニーは急な崖下にあり、傾斜がきつく、火山礫で滑りやすい。営巣地としての条件は、あまりよくなかった。人に追われたアホウドリたちがやむをえず、人が近づきにくい場所で繁殖していたのだろうという印象をもった。

【写真】旧コロニー
  旧コロニー。急勾配の斜面で繁殖・育児にはやや不向き(写真提供:長谷川博さん)

一方の新コロニーは、土壌が安定し、草も適度に茂っていた。傾斜も緩やかで、子育てに最適な環境であることが素人目にもわかった。将来、1万羽、2万羽……と繁殖数が増え、復活を決定的にするためには、新コロニーの形成が最も効果的で意義のある対策だった。私は今、そう解釈している。

【写真】
  新コロニー。旧コロニーより繁殖に適した地として「移住」計画が推進された(写真提供:長谷川博さん)

鳥島に残された大きな不安といえば、火山活動である。

繁殖期に大規模な噴火が起きると、コロニーに甚大な被害が出る可能性がある。鳥島の火山活動は活発で、有史以来、何度も噴火してきた。最近では、2002年8月に10日間程度、島の中央にある硫黄山の噴火が確認されている。気象庁によれば、水蒸気噴火からマグマ水蒸気噴火、マグマ噴火が起きたという。幸いにも非繁殖期で、アホウドリやコロニーに被害は及ばなかった。

自然災害によるコロニーの壊滅は、決して杞憂とは言い切れない。

2000年にアホウドリを「絶滅危惧種」に指定したアメリカの魚類野生生物局は、山階鳥類研究所や、長谷川さんら鳥類研究者などと協力して、火山島ではない繁殖地の選定に動き出し、小笠原諸島を選んだ。2008年2月、鳥島で生まれた10羽のヒナがヘリコプターで同諸島の聟島(むこじま)に運ばれた。

「拡大期」の始まりである。

5シーズン連続で合計70羽のヒナが聟島に移住、人工飼育された(うち1羽が死亡)。2018年までに、移住した若鳥が卵を産み、同諸島・媒島(なこうどじま)で1羽の(2014年の初産卵によるヒナ)、聟島で3羽のヒナが巣立った。

順調に推移しているように見えるが、同諸島でのつがいの数は伸びず、残念ながら拡大期の歩みは遅い。どうやら、移住したはずの鳥の中には、鳥島に戻ってきているものもいるらしい。つがいをどう増やすかが、今後の大きな課題となっている。

(後編「346分の97」が絶滅危惧種! 地球から海鳥が消えていく】に続く )