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エンゲルスが説いた「マルクスの神話」が、再び大衆を支配する危険性

盲目的な科学信仰に潜む罠

マルクスの評伝から

マルクス―ある十九世紀人の生涯』は米国ミズーリ大学の歴史学者ジョナサン・スパーバー(1952年生まれ)によるカール・マルクス(1818~1883年)に関する実証主義的手法で書かれた優れた評伝だ。

共産主義の提唱者であるマルクスが典型的な19世紀のブルジョア知識人であったということがよくわかる。

マルクス一家は、貧困に悩まされる時期が多かったが、それはブルジョア的生活を維持するための浪費から生じていた。

マルクスと、貴族出身の妻イェニー・フォン・ヴェストファーレンは、プロレタリアート(労働者階級)の境遇に同情していたが、自らがプロレタリアートと同じ生活をする意思はまったくなかった。また、周囲の共産主義者、無政府主義者が、性的に奔放な生活をしていたのに対し、マルクスは、家政婦との間に男子を作ったという事実はあるものの、ブルジョア的一夫一婦制をたいせつにした。

マルクス(上右)と妻、娘たちと共に写真に写るエンゲルス(Photo by gettyimages)

さらに、マルクスと盟友で共産主義者であり裕福な資本家であったフリードリヒ・エンゲルス(1820~1895年)は、偏狭な性格の持ち主であったことが浮き彫りになる。

1850年代初頭にマルクスは政治的に孤立するが、その原因についてスパーバーはこう記す。

 

〈当時の人びとは、マルクスが巻き込まれることとなった様々な政治的論争と分裂に、別の説明を与えていた。彼らは、こうした小競り合いと分裂の原因をマルクスの個性に求めたのである。

反目は、ある政治亡命者〔ルートヴィヒ・プファウ〕がスイスで述べたところによると、「彼らの教理ではなく、彼らの個人的な不一致と常に支配権を握ろうとしていたことによるもの」であり、そのために、マルクスとエンゲルスはロンドンの他のドイツ人民主主義者たち全員から仲間外れにされたのであった。

ヴィリヒとシャッパーは、マルクス、エンゲルスとの絶縁の理由をこれと同じように説明している。それは「原則」ではなく「純粋に個性」に関するものであった。

彼らは、両人が「完全に自分たちの意のままになって無条件で自分たちと同じほらを吹こうとしない」人びとを「ありとあらゆるやり方で迫害した[こと]」を告発した〉。

偏屈なマルクスは周囲の活動家から孤立していたので、大英博物館の図書館に通い、膨大な資料を読み込んで『資本論』を書いた。

対立するマルクスとエンゲルス

スパーバーは、マルクスとエンゲルスの思想は、本質的に異なると見ている。そして、エンゲルスによって流布された言説が、世間ではマルクス主義と受け止められてしまった。

〈マルクスの死後、エンゲルスが彼の最大の解釈者となり、十九世紀末から二十世紀初頭のマルクス主義思想はまずもってエンゲルスの著作を経由して広められた。

これまで、エンゲルスがどれほど正確にマルクスの見解を代弁していたのかをめぐり、激しく衝突し合う研究が多数出されてきた。

二人の知的な相違を強調する著述家たちには、ヘーゲル主義的に感化されていた一八四〇年代の若きマルクスを、およそ四〇、五〇年後の実証主義的な老エンゲルスと比較する向きがある。