昔の日本人が無関心だった「児童虐待」なぜこれほど問題化したのか

体罰、ネグレクト、性的・心理的虐待…
広井 多鶴子 プロフィール

児童虐待問題がもたらしたもの

以上見てきたように、今日の児童虐待は親による行為であり、親こそが子どもに危害を加える虐待者である。

また、大幅に虐待概念が拡大された結果、今や児童虐待は、子どもの成長発達に害を与えると推測される親の行為全般を指す。

しかも、虐待かどうかは親の意図にかかわらないとされ、第三者が子どもに加えた危害に対しても、親としての保護責任が問われる。

 

児童虐待が社会問題になり、法や制度が整備されたことによって、親の言動がかつてなく厳しく制限されるとともに、果たすべき親の任務と責任が大幅に拡大・強化されたのである。

その結果、長い間、親の懲戒権の行使として認められてきた体罰が虐待と見なされ、子どもへのわいせつ行為やことばによる暴力が新たに虐待として禁じられることになった。

このことは、確かに、親による暴力や暴言、拒否等から子どもを守ることにつながってきただろう。

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しかし、児童虐待問題がもたらしたのはそれだけではない。

児童虐待に対する社会の関心が増大し、児童相談所への通報が急増することによって、子どもに対して残忍な行為をする未熟な親、横暴な親、冷酷な親が膨大に増えているかのようなイメージが広がった。

また、それによって、虐待をする親へのバッシングが増大し、厳罰化が進む一方で、虐待の背景にある貧困などの社会的問題にはほとんど関心が向けられなくなった。

児童虐待は社会の問題ではなく、親個人や個々の家庭の病理であり、経済的困窮も個々の家庭のリスク要因の一つに過ぎないと考えられているからである。

それゆえ虐待対策では、子育て家庭の様々なリスク要因を把握し、家庭への監視を強めることに力が注がれる。その対象は問題のあるハイリスク家庭だけでない。健診や訪問を通して、乳幼児を育てる全ての家庭を把握することが目指されている。

名古屋大学大学院教授の原田綾子は、日本では親子関係への介入が「援助」として捉えられているため、「介入側の裁量によって自由に実施できるようになっており、介入の行き過ぎへの歯止めがかかりにくい」と指摘している(『「虐待大国」アメリカの苦悩』ミネルヴァ書房、2008年)。

児童虐待問題は、「支援」や「援助」と称することで、国や自治体が子どものいる全ての家庭を監視し、子育てに介入することを可能にしたのである。