メンデレーエフが1869年に発表した周期表を再現したものを見てみましょう。
インジウム(In)やセリウム(Ce)などの原子量が大きく異なっていることから生じている並び間違えがあったり、族が横の行になっていて少し見づらかったりと、今の周期表を見慣れた人にとっては「なにこれ?」と思うような形です。
下図に示した1871年の改訂版になるともう少し見慣れた形になりますが、まだまだ、「なんだろうこれ?」といった感覚がありますね。
それもそのはず。当時は、電子や陽子も見つかっていない、つまり、今となっては当たり前の原子の構造(陽子、中性子からなる原子核と電子という構造)すらわかっていなかった時代です(ちなみに、日本の明治時代が始まったのが1868年です)。
しかし、18世紀後半のアントワーヌ・ラヴォアジエの研究などによる四元素説からの脱却、19世紀初頭のジョン・ドルトンによる原子説、それまでの原子・分子への理解の統合が進められたカールスルーエ会議(1860年)など、さまざまな形での科学の積み重ねがありました。
そして、ついにメンデレーエフが周期律にたどり着き、当時の科学界の財産とも呼べる上図の周期表が得られたのです。