〔PHOTO〕三浦咲恵

沢木耕太郎が70歳を過ぎても「文章の探求」を続けられる理由

無駄、好奇心、河を泳ぐ力

沢木耕太郎という名前はノンフィクションの世界で特別な響きを持っている。ベストセラー『深夜特急』はバックパッカーのバイブルと呼ばれ、『テロルの決算』『一瞬の夏』『人の砂漠』と言った作品群では実験的な手法も駆使して対象を描き切った。

彼はノンフィクションの方法を探求し、その可能性を広げていった。いまは小説家としても活躍する沢木が25年ぶりとなるエッセイ集『銀河を渡る―全エッセイ』、続けて学生時代の卒業論文も収録した『作家との遭遇―全作家論』(いずれも新潮社)を刊行した。文章の探求は71歳の今も続いているという。

なぜ沢木は70歳を超えてなお、否、年を重ねるごとに新しい作品を生み出す意欲を持ち続けているのか。

キーワードは書き手以前の無駄、好奇心、そして書き手になってからの河を泳ぐ力――。

(取材・文:石戸諭/写真:三浦咲恵)

沢木耕太郎さん

小説に軸足を移した25年間

2018年末、神楽坂にある新潮社の一室でインタビューをした。

冒頭の写真撮影で、フォトグラファーに「もう一歩前に出てもらえますか」と声をかけられた沢木はふふっと笑いながら、要望に応じた。笑った理由を聞いてみると、こんな話をしてくれた。

《美空ひばりさんのことを思い出してね。生前にインタビューをしたときに、一緒にいったカメラマンが美空さんに「一歩前に出てほしい」って言ったんだよね。

そしたら美空さんが「沢木さん、あの人は不思議なことを言うわね。あの人が一歩前に来たらいいのに」って。カメラマンは大慌てだよね。気を遣いながら撮影していた。》

私は美空さんは「カメラマンだけでなく、インタビュアー泣かせというイメージもありますね」と言った。

《うーん、僕はインタビューで泣かされたことは一回もなかった。難しかったという人もいなくて、全部面白かった。美空さんは本当に頭の良い人だなぁと思った。すべてを理解した上で「私は知らない」って言うことができる人だった。

例えば『危機の宰相』でお会いした経済学者の下村治さん(池田勇人内閣のブレーン。高度経済成長を支えた)。ある種、翻弄されたのかもしれないけど、彼は聞かれたことを簡潔に答えただけなんですよね。僕はその受け答えを「面白いなぁ」と感じていた。》

全エッセイ集を出すのはこれが3冊目になる。これまで沢木は10年に一度、全エッセイ集を出してきた。前作『象が空を―1982〜1992』は1993年の刊行だ。

少し間が空いたが、この25年は、ちょうど沢木の軸足がノンフィクションから小説へ移ってきた時期と重なる。

《確かにこの25年はそういう時期になるかな。本当なら2003年頃に出ていても良かったんだろうけど、ちょうど他に作品を書きたいと思っていたんでしょうね。

その時はエッセイ集をまとめる時間を作るくらいなら、作品を書くという時期だったのかな。僕は楽天的な性格だから、25年経って分量も「これ以上増えたら……」というところまで溜まっているから「ちょうど良し」と思っている。》

沢木は、徹底的な取材に基づきディティールを緻密に描くことによって、「論」ではなく事実を「物語」としノンフィクションの世界を切り開いた。言い換えれば、ノンフィクションを小説のように描いてきたと言えるだろう。