「なんで女の子に生まれてこなかったのよ!」と叱られ泣いた私の現在

ジェンダーバイアスを解体するためには
横山 起也 プロフィール

「文化的な思い込み」を理論で解体

この体験は私にとって大きく、この後「社会におしつけられた思い込みは、条件がそろえば簡単に解体できるのではないか」と考えるにいたり、その後、ジェンダーバイアスを解体するイベントを開催するようになった。

その例として、ある高校でのイベントを挙げてみたい。

まず、最初の一時間で参加者の男の子にも女の子にも編み物をしてもらう。

すると、慣れてない人にはそれなりに難しいからすぐに編むことに集中して、没頭してしまう。

そして編んだあとに、講演を始めるときに「さっき編んで集中していたときは自分が男とか女とか気にしましたか?」と聞いてみる。

皆の感性に問いかけるのである。

すると全員が「編みはじめて集中したら、そんなことはまったく気にしなかった」という。

 

この「参加者の中にあるジェンダーバイアスを乗り越えたことを体感する」という段階はとても大事なものだ。

ワークショップ前は、戸惑っていた参加者の表情が、すっきりとした顔になるのを見るだけで、ジェンダーバイアスという境界がなくなったことが誰でもわかる。

それから、日本の歴史のなかでいかに編み物にジェンダーバイアスが染みついていったかの理由を、文化史の側面から話す。

「文化的な思い込み」を理論で解体するのである。

このようなイベントを開催し、参加者の話を聞いていると、かなり多くの人がさまざまなジェンダーバイアスの制限を受けていることがわかる。

そんな枷(バイアス)は解体した方がみんなのためである。

所詮は社会的な思い込みなのだ。

歴史的な慣性に引きずられたまま過ごしていくことのどこに意味があるのか、一人一人が自分の胸に問うた方が良い。

「社会は堅固なもの」というだけの理由でその思い込みを捨てないのは怠惰に過ぎないからだ。

こういうことを言うと「伝統を壊してはならない」とか「歴史の重みを大事にしないといけない」と論ずる方もいらっしゃるが、それは的はずれな反論である。

意味のある伝統の力は必ず残るのだ。

大災害や大戦争を越えて、さまざまな文化がきちんと残っているのをみれば自明である。

歴史に関して述べるなら、編み物については前述のとおり、「編み物ざむらい」のような存在がみられる。

きちんと調べれば多様性で満ちているのである。

世界は多様だ。

そして我々も多様なのだ。

その本来の有り様に枷をかけることの害はたしかにある。

「自分はこういうことをしたいけれど、男だからやりにくいなあ」とか「ワタシ女だからちょっとそれは恥ずかしい」とか思ってしまうことは、莫大な可能性をなくし、気持ちや考え、行動を制限する枷である。

そんな「男らしさ」「女らしさ」など幻想に過ぎない。

生きかたを選択するとき、歴史的慣性などに振り回されている暇は、我々には、もうないのだ。