「編み物ざむらい」とは?
さらに、そのジェンダーバイアスをひっくり返す存在が、江戸時代の末期、いわゆる幕末に存在した「編み物ざむらい」たちである。
驚くべきことに、あの日本の男性像の代表のような「侍」たちが編み物をしていたと記す資料は確かに存在する(藤本昌義『日本メリヤス史 上巻』東京莫大小同業組合 第8章に詳しい)。
「編み物ざむらい」たちは、襦袢や股引きなどさまざまなものを編んでいたと資料にはあるが、その中で特筆すべきは軍用の手袋、つまり軍手である。
いまでも私たちの生活になじみがある軍手は、編み物技術でつくられているのである。
時は幕末、最新鋭の兵器は大砲であった。
大砲を扱うときには、砲身を錆びさせないように軍手が必要であるから、その需要が高まった。
「編み物ざむらい」には一橋家など、徳川家にゆかりのある家や藩の下級武士が多かったそうだが、そのわけは幕府の軍備増強とともに軍手が必要になったかららしい。
その後、明治になってすぐ、自動的に編み物製品が作れる編み機の輸入がはじまり、侍たちが生産していたものを機械で編むようになった。

こうして工業的編み機へとその仕事を引き渡し、「編み物ざむらい」は早々に歴史から姿を消すこととなる。
一方、第二次世界大戦の後、編み物が日本政府や地方自治体に奨励されるようになった。
編み物は場所が狭くてもできるうえ、失敗してもほどいてやり直しがきくので、物が少なく貧しい時代に「家」で手作りの服を作るにはうってつけの手法だったのである。
ここで注目したいのは、「家」で服を作るために、編み物が広められたという点である。
当時は国全体で生活水準をあげるために、男性は外に出て働き、女性は生活用品を作るなどの作業をふくめた家事を「家」でしていた。
つまり、編み物をするのは「家」にいる女性なのである。
この時点で、政府や地方自治体が後押しするかたちで編み物のジェンダーバイアスがつくられ、強化されていったのは間違いない。
しかもこの手芸的な編み物の業界は「編み物ざむらい」から歴史的な流れを引き継いだわけではないからその記憶はなく、できはじめたジェンダーバイアスをおしとどめる思想が乏しかったのだ。
「ジェンダーバイアス」など気にするな
時は流れ、いまとなっては服は世にあふれている。
さらに、女性も外に出て働くのが普通の時代である。
「女性が編み物をする社会的理由」は、もうすでに消滅しているのである。
しかし、なお日本社会には「編み物は女性がやるもの」というジェンダーバイアスが残っている。
ここで、よく考えていただきたい。
上記のような知識を前提にすれば、編み物をめぐるジェンダーバイアスは歴史の慣性が生んだ文化的な思い込みに過ぎないことはすぐわかるはずである。
ただの惰性なのだ。
私は別に「男でも編み物しましょう」と宣伝したり、「男でも編み物していいじゃないか」と言い訳したいのではない。
もともとの必要性をなくし、歴史的な慣性がはたらいているだけの文化的な思い込みに過ぎない「ジェンダーバイアス」など、気にすることはない、と言いたいのだ。
しかし、それは簡単なことではない。
文化的「思い込み」に過ぎないといっても、社会というものは強固なのだ。
前述の「人目のつくところで編んでみる」という私の実験の間も、頭でわかっていながらジェンダーバイアスを完全に乗り越えることはできず、どこか引け目を感じていた。