船乗りたちの「結び」の技術
だがしかし、地域や時代、分野が変わると、そのジェンダーバイアスが無効になることがある。
海の男たちが編み物をするという話は、メディアでもしばしば紹介される(参照:テレビ朝日「人生の楽園」睦月の参 千葉・印旛郡酒々井町~夢を広げる男の編み物)。
商船の船乗りや海軍の軍人たちが、長い航海の手なぐさみに編み物をしていたことはネットでも紹介されているし、文献にも残っている(参照:日本財団図書館「海と船の企画展」図録「結びの技と道具」。商船大学教授の著者が書いたエッセイ。船員の暇潰しとして「編物などの手芸」とある)。
私の祖母が編み物教室をひらいたのは横浜であるが、1950年代には、横浜港に寄港した船で働く男たちが、祖母のところまで編み物道具や糸を買いに来ていたそうだ。
その中には日本人も外国人もいて、金属製の編み針を何セットも買っていったとのことである。
また、千葉の漁師さんで編み物の達者なおじいさんがいて、3日もあればセーターを1枚編んでいたという話も聞いたことがある。
これは編み手としてかなり早いスピードであるから、よほど糸の扱いに精通していたのだろう。
船の上での作業では「ロープワーク」が必須であり、船乗りたちが「結び」の技術に通じていることは周知の事実であるが、「ロープ」に通じているということは「糸」にも通じていているはずである。
また、魚をとる網も糸でできている。
フィレ・レースという編み物の一分野があるが、その技法は網を作る技術から発展したという説もあるほど類似している。
漁網が破れたときに、船に乗った漁師たちが総出で網を直す映像をテレビで見たことがあるが、ものすごい速さであった。
あれでは編み物がうまい人が出るのも当たり前だと、納得した。
複数の文化がオーバーラップするとき
おなじ「ロープワークと編み物」つながりで、面白かったのが、あるキャンプ用品会社のイベントに参加した時の話だ。
その時に私をサポートしてくれたスタッフの男性が3人いたのだが、全員ともすごく編み物がうまかったのだ。
イベント前の打ち合わせで、編み物の基礎である「鎖編み」という技をすいすいとやってのける。
びっくりして聞いてみると、テントを張るためのロープをしまうときに「鎖編み」とまったく同じことをするとのこと。
さらに、あるスタッフによると、フライフィッシングの毛鉤(けばり)作りと道具も技法もかなり似ているという。
結局、その3人はすぐに習得し、その編み物に没頭する姿が楽しそうに見えたせいで、担当ではない人もやって来て編んでいったくらいだった。
ワークショップについても男性スタッフが教える姿に触発されて、普段は決して編み物などしないようなお父さんたちも参加していたのは愉快であった。
もちろんキャンプのロープワークや毛鉤作りと「編み物」は違う。
しかし、糸や紐といった「細くて長いものを扱う」という根っこは同じであり、それぞれの文化がどこかでオーバーラップしているのだろう。
そして、それが事実として現象レベルまで表出したのが、編み物をする船乗りの例なのではないかと思われる(編み物と同じく糸を使う手芸の刺繍に関しても、船員の趣味として紹介されることがある)。
このように糸やロープを扱う文化内において、日本社会で編み物の持っている「ジェンダーバイアス」が無効化されたり、ゆらいだりすることはしばしばあるのだ。