日本社会を覆う「呪い」とは? ぼくりりが明かす活動終了の「真意」

「総括するならば、大敗を喫した」
柴 那典 プロフィール

「ぼくりりを殺すことで僕が生きる」

――それでぼくのりりっくのぼうよみとしての活動を終えようと考えた。具体的にはいつぐらいのことでした?

2018年に入ってからくらいですね。2月頃は「休憩しようかな」くらいの感じだったんですけど。春を過ぎたあたりから「壊そう」という方向になっていった。せっかくだから葬式をやるかっていう。

――ラストアルバムの『没落』は「遺書」という曲から始まります。初回限定盤には買った人だけが読める「遺書」というテキストも封入されています。そしてラストライブのタイトルは「通夜・葬式」である。つまり、すべて自死をモチーフにしている。これはどういうアイディアから生まれていったんでしょうか?

普通に辞めようかなってところからで。僕が辞職したらぼくのりりっくのぼうよみも死んでしまうよっていうことなんで。

――活動終了の発表のときに「辞職」という言葉を使いましたよね。物事を終えるときの言葉って、他にも沢山あると思うんです。バンドだったら「解散」や「活動休止」がある。

「卒業」とかもありますね。

――でも、何よりもぼくのりりっくのぼうよみらしいモチーフとして「辞職」という言葉と死のモチーフを選んだと思うんです。そのあたりはどうですか?

それはつまり、ぼくりりの中の人にとっては、ぼくのりりっくのぼうよみっていうのがひとつの職業であるということを端的に示してるんです。

現状ではそれをする人は僕しかいないので、当然、僕が辞職すると、ぼくのりりっくのぼうよみは死ぬ。

ぼくのりりっくのぼうよみがひとつのキャラクターであることを示すためのキーワードですね。

――なるほど。ぼくのりりっくのぼうよみというキャラクター、ぼくのりりっくのぼうよみというブランドを破壊する。そのために遺書も書いた。

はい、ぶっ殺しました。

――それが、ぼくのりりっくのぼうよみの中の人が生きるための、ある種の最適解だったわけですね。

だと思いますね。ぼくりりが終わることでやっと作れるものがある。ぼくりりを殺すことで僕が生きる、中の人が生きるっていう。

ただ、それもあるんですけど、何よりもまず『没落』というアルバムをいいものにしたくて。僕にとって子供みたいなものなんで、彼、あるいは彼女を、一番日のあたるところに置いてあげたい。

そのためにどうすればいいのか。じゃあ、死のうかな、と。ある種の蜘蛛で、子供を生んだ後に自分が死ぬタイプの母親とかいるじゃないですか。ああいうイメージです。

――『没落』というアルバムをいいものにしたい、というのは?

没落』は僕の子供のようなものなので、アルバムができた今はそれをどう育てようかなって段階なんです。

今はただ、このアルバムにとどまらず、僕のツイッターのリプライとか、そういうものも全部含めて「総合芸術」として作っているつもりなので。

ぼくのりりっくのぼうよみというキャラクターそのものを破壊していく新しいエンターテイメントを作っている、というか。

 

――ここ数ヵ月で目立っていたツイッターの炎上みたいなことも、なかば戦略的に仕掛けていたところがある。

なかばというより、思いっきりそうですね。僕は音楽と人格を切り離したかったんです。でも、どうやらそれは難しい。音楽の裏にある人の顔や意志を見たがる人が多い。

だったら逆にそこに全力でコミットしようと思って。どういう人間がこのアルバムの曲を歌っていったら一番面白いかっていうところにチューニングして、そういう風に操作していきました。

つまり、温厚な人間がぬるっとした温度感で「『没落』出します」って言っても刺さらないと思ったんですね。むしろヤバい人間だと見せる必要があった。そうすることによって、この子供がより輝いていくっていうイメージですね。