「鬼子」の歌をうたうまで〜クラシック音楽で読む日本近現代100年

なぜ日本の作曲家は軽視されてきたのか
片山 杜秀 プロフィール

鬼子の歌をうたう

そこで、そうした演奏会や劇場用の作品も一所懸命に聴こうとする。

が、たちまち壁にぶち当たった。日本の作曲家たちの代表作とされている交響曲などのレコードがあまりに少ない。

どうもおかしい。日本の近現代を代表するはずの西洋クラシック音楽系の作曲家たちは、日本の同時代の小説家や詩人や画家と比べると、世間での扱われ方がずいぶんと小さいのではないか。聴きたい作品はレコードになっておらず、知りたいことの書かれた本もちっともない。

たとえば、芥川龍之介や谷崎潤一郎や川端康成なら、全集も読めるし、批評も無数にあるというのに、山田耕筰や伊福部昭となれば、さっぱりである。まともな評伝のひとつもない。

この国はどうなっているのだ! 私の意中の作曲家たちはこの国の文化史に入っていないのか。鬼子なのか。だったら、いつか鬼子の歌をうたってやるぞ。この飢餓感を補ってやるぞ。

やがて私は、昔の自分の読みたかったものを、自分で書くようになった。

ついに『鬼子の歌──偏愛音楽的日本近現代史』も出来た。日本の近現代の生み出したクラシック音楽畑の「名作」を全14章で14曲扱う、連作評論のようなもの。

文芸誌「群像」の連載だったので、三島由紀夫原作による黛敏郎のオペラ『金閣寺』、三島の台本による戸田邦雄のバレエ『ミランダ』、遠藤周作の原作による松村禎三のオペラ『沈黙』、高橋睦郎の台本による三善晃のオペラ『遠い帆』など、文学の話題にもふれやすい劇場作品を多めに取り上げることにも、自ずとなった。

山田耕筰、諸井三郎、深井史郎、山田一雄、早坂文雄の作品から、戦時期の文化と思想を掘り下げてみることにもなった。

「名作」はまだまだある。取り残しているものは数多い。「鬼子の歌」をもっとうたわなくては。その意味では一里塚のつもり。二里め、三里めを目指したく、精進致します。

(かたやま・もりひで 音楽評論家・慶應義塾大学教授)