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# 育児放棄 # 暴力団 # 格差・貧困

母に捨てられ、父に売られ…暴力団員の子の想像を絶する人生

育てられない母親たち㉘
暴力団に対する締め付けは、暴対法を中心に社会の課題として広く行われている。その中で、暴力団という組織がどのようにしのぎを奪われ、経済的、社会的に追い詰められているか、離脱者がどれだけに上っているのかということは報道される。

だが、暴力団の子供たちがどのように暮らしているかということは、あまり光が当てられてこなかった。

私は現在ある雑誌で、暴力団の親の下で育った子供たちがどのような人生を歩んできたかを連載している。今回の、「捨てられた子供たち」の連載においても、たまたまというべきか、必然ともいうべきか、暴力団員の子供と名乗る人がインタビューに応じてくれた。

暴力団家庭から捨てられた子供のケースに光を当ててみたい。
 

親の生業は覚せい剤の密売

東海地方のある町で、清水力也(仮名、以下登場人物はすべて仮名)は育った。

母親は元暴走族のメンバーで、19歳の時から付き合っていた15歳年上の暴力団員と20歳で妊娠、生まれてきたのが力也だった。

暴力団員の父親は、主に覚せい剤を密売して生計を立てていた。地元に大勢の不良の後輩がいたことから、彼らに覚せい剤の売人をさせて、その上がりをはねていたのである。

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それなりに儲かっていたらしく、力也が物心ついた時から、家にはセルシオなど常に3、4台の高級車があったという。

母親は若い頃から父親の仕事を手伝っていて、覚せい剤をビニールのパケに詰めたり、不良の後輩に渡したりする手伝いをしていた。そうした中で、母親自身も覚せい剤を覚えたのだろう、折々に注射器で使用していた。

父親が家を去ったのは、力也が六歳の時だった。

後から聞いた話では、次々に愛人をつくっては子供を産ませていたこともあって、母親の方が耐えられなくなって家から追い出したらしい。

母と男と3人でラブホへ…

しかし、母親は別れた後も父親と関係をもっていた。覚せい剤の密売の仕事は一緒にやっていて、それなりの金をもらっていたようだ。母親にしても、重度の覚せい剤依存症に陥ってやめられなかったのだろう。

母親は父親と覚せい剤の密売をする一方で、家に愛人を呼んでは「キメ・セク(覚せい剤をして性行為をすること)」をしていた。しかも、その愛人の中には、父親の舎弟もいた。

力也は語る。

「母さんはクスリで頭がぶっ壊れていて、小学生の俺にまでシノギを手伝わせていました。車でショッピングモールの前に行って、クスリ(覚せい剤)の入ったバッグを渡してこいって言ってきたり、クスリを隠す手伝いをやらせたり。

母さんとヤクザの男と3人でラブホに行くこともありました。俺がバスルームで携帯ゲームをしている間にセックスしてるんです。はっきり言って、母さんのことは嫌いでした。むしろ、親父の方があまり記憶にない分、好きだったかな。時々父親と会うと、焼肉とかステーキ屋とかつれて行ってくれて何でも買ってくれましたし」