足立区に逆転はあるか? 鉄道整備と沿線開発の歴史から考える

まちの衰退を防ぐ2つのポイント
池田 利道 プロフィール

千住以外が「その他大勢」になったワケ

一方、曲がりなりにも区のど真ん中を東武伊勢崎線が通っていた足立区は、交通の利便性が決して高いとはいえないものの、地価の安さを考えるとギリギリ許容範囲内という、いわば中途半端な状態にあった。足立区が団地のまちとなり、庶民のまちとなっていく背景には、この中途半端さが大きな作用を及ぼすことになる。

ただし足立区の中で、千住だけは全く別の歩みをたどる。

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東京オリンピックは2020年大会が2回目で、1回目は1964年。まさに日本が、そしてその中心である東京が、発展の道を走り続けていたさなかのことだった。新幹線も、首都高も、羽田に向かうモノレールも、1964年のオリンピック大会に合わせて整備が進む。

地下鉄の日比谷線もそのひとつ。日比谷線の北千住~人形町間が開業したのが1962年。オリンピック大会を目前に控えた1964年8月末には中目黒までの全線が開通し、東急東横線との相互乗り入れも始まって、北千住と横浜方面がダイレクトに結ばれる。

1969年には地下鉄千代田線の北千住~大手町間が開業し、東京の最中心部と直結する。千代田線は、1978年には小田急線との相互乗り入れも始まる。さらに2003年になると東武伊勢崎線と地下鉄半蔵門線の相互乗り入れが開始され、北千住から渋谷まで乗り換えなしで行くことができるようになる。

千住地区の面積は、足立区全体の1割しかない。その千住が、抜群の交通利便性を背景として独自の発展を遂げるのを傍目にしながら、残る9割は中途半端から脱却できない状況を余儀なくされ続けた。

ようやくつくばエクスプレスが開通し、1979年に“盲腸駅”として開設されていた北綾瀬と併せて、区の東側の交通不便が解消されるのが2005年。続いて2008年には日暮里・舎人ライナーが開通し、区の西側の交通不便も解消される。

だが、遅すぎた。江戸川区に都営地下鉄新宿線が開通したときから数えても20年。つくばエキスプレスも日暮里・舎人ライナーも、すでに沿線は中途半端な状況下での市街化が進んでしまっていた。日暮里・舎人ライナーは団地連結線の様相が濃く、つくばエキスプレスの青井駅は「団地前駅」の感がある。

 

開発から取り残された足立区

千住以外の足立全体が中途半端な位置づけを余儀なくされた影響は、市街化が先行した東武スカイツリーラインの沿線にも色濃く表れている。

急行が停まり半蔵門線への直通電車にも乗れる西新井は、1980年代の初めに駅前にスーパーができ、2000年代になると駅の近くの工場跡地に大型ショッピングセンターもできるなどまちの利便性の向上が進んだ。背後に「団地のまち」が広がっているため、まちのパワーが高まっているとまではいえないにしても、一応の活力維持は図られている。

これに対して梅島や五反野は、小さな木造住宅が密集する典型的な庶民のまちだ。竹ノ塚は「団地のまち」の入り口である。

足立区役所から一番近い駅は梅島だが、歩くと15分近くかかる。区役所に急いでいく必要があるときは西新井からタクシーに乗るのが確実だが、普段は北千住からバスに乗るのが一番便利。20年以上前に千住から移転してきた区役所も、いまだに足立の「その他大勢」の構造を変えることができておらず、「最寄り駅」は北千住のままだ。

筆者の23区内山手線外側28路線の分析で、沿線の高齢化が最も進んでいるのは、JR京浜東北線の上中里以北(尾久を含む)。2位が日暮里・舎人ライナー。以下、東武スカイツリーライン、東京メトロ南北線、つくばエクスプレス(南千住以遠)と続く。

逆に高齢化率が最も低いのはJR京葉線、次いで東京メトロ東西線。都営地下鉄新宿線は江東区側に古いまちが多いため、やや高齢化率が高いが、28路線を「高」と「若」に2分割するとやはり若い部類に入る。足立区と江戸川区との間には歴然とした差がある。

駅(駅勢圏)の方は、調査の対象としたおよそ240の駅の中で、高齢化率3位に江北が入るほか、西新井大師西(7位)、高野(8位)も高齢化の進行が著しい。人口増加率のボトム3は高野、西新井大師西、五反野と足立区が独占。さらに下から5番目に北綾瀬が続き、舎人公園、大師前を加えるとボトム10のうち6駅が足立区である。

30代人口の増加率も同様で、一番低い舎人公園をはじめ、高野、北綾瀬、西新井大師西、竹ノ塚、谷在家がボトム10に名を連ねている。

一応の活力維持が図られていると評価できる西新井も、高齢化率は23区平均と同程度、30代人口の増加率は全国平均とほぼ同レベルで、23区平均には遠く及ばない。

鉄道の整備と沿線の開発の歴史が、この現実を生み出していったのだ。