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足立区に逆転はあるか? 鉄道整備と沿線開発の歴史から考える

まちの衰退を防ぐ2つのポイント
何かとマイナスイメージを持たれがちな足立区。ところが近年、東京23区で「定住率ナンバーワン」を誇るなど、その住みやすさから再評価が進んでいるという。足立区に何が起こっているのか? 『なぜか惹かれる足立区』(ワニブックス刊)の著者で、一般社団法人「東京23区研究所」所長の池田利道氏に、足立区の鉄道整備と沿線開発の歴史について解説してもらった。

異なる発展をした「三兄弟」

数年前のことになるが(足立区、葛飾区、江戸川区の)東部3区を取り上げたある雑誌が、キャッチコピーに「下町三兄弟」と銘打った。思わず「うまいな!」と、感心してしまった。

目黒、世田谷、杉並の3区だったら、「山の手三姉妹」の方が似合うが、東部3区はやっぱり男兄弟でないと収まりが悪い。兄弟だから似ていることはいうまでもない。だが、個性は違う。

東部3区のどこが長男で、どこが次男で三男か。それは市街化の歴史をみると明白だ。2015年の人口を100としたときの推移を10年スパンで追った以下の図表は、3区の開発の経緯を雄弁に物語っている。

・東部3区の人口増加傾向の推移(2015年=100)

最初に市街化が進んだのは、押上線、金町線を含む京成線のネットワークが昭和の初めまでに整備されていた葛飾区。セルロイドから始まり、おもちゃへと続いていく町工場の集積が、その発展の背骨を支えた。モンチッチも、リカちゃんも、黒ひげ危機一発も、生まれも育ちもカツシカである。

ちょっと地味だが実力勝負。モノづくりのまちに共通する特性は、葛飾区にもあてはまる。

常磐線が通る千住以外、明治時代に開通した東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)だけしか鉄道がなかった足立区は、葛飾区と比べてやや開発が遅れる。以後足立には、二番手ならではの「損な立場」がついて回る。その一方で、千住を大学のまちに変えたように、意外な戦略性を持ち合わせているのも足立区だ。

かつて、総武線が区の北端をかすめて通るだけだった江戸川区は、最も開発が遅れた。 同時に遅れたが故のメリットを、巧みに活用できた区でもある。強い共通性をもつ東部3区は、同時にひとくくりで捉えることができないきわめつきの個性派揃いでもある。

 

鉄道効果を活かした江戸川区

区の大部分が交通不便地域だった江戸川区に東京メトロ(当時は営団地下鉄)の東西線が開通するのが、高度成長の時代も末期が近づく1969年。これで同区の南側は随分と便利になった。だが、総武線の小岩駅と東西線の葛西駅の間は10キロ近くも離れており、区の中部は依然として交通の空白地帯のまま残り続けた。

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待望の都営地下鉄新宿線が開通するのは1980年代の半ばになってのこと。あまりにも交通の便が悪かったから、鉄道が開通したとき、まだ市街化の密度が低く、時代のニーズに合った開発を進め得る余地が残っていた。

武蔵小杉のような再開発型は別として、いま首都圏で新たな市街地開発の勢いが最も盛んなのは、千葉県の流山市、柏市の北部、茨城県の守谷市、つくばみらい市など。いずれも2005年に開通したつくばエクスプレスの沿線である。

これと似た動きが、江戸川区では1970年代に区の南部で、1980年代半ば以降は区の中央部で起きた。団地でさえ立地をためらうような場所が、にわかに脚光を浴びるようになったのだ。まさに、開発が遅れた故のメリットだったということができる。