「不機嫌な隣国」韓国に向き合うためにいまわれわれが考えるべきこと

「異質な文明世界」がある、という前提
櫻田 淳 プロフィール

近代日本の立ち位置

もっとも、こうした韓国サイドの「常識」は、日本には受け容れ難い。「中国」文明圏域の「常識」としての「中心(中国・朝鮮半島)―格上、周辺(日本)―格下」意識、さらには多分に儒教道徳を反映した朝鮮半島独特の「理への執着」意識なるものは、日本が決して共有するものではなかったからである。

逆にいえば、日本もまた、自らの「常識」が通用するという予断の下に対韓関係に臨んできたところがある。その予断を象徴するのが、日本が河野談話以来、続けてきた「お詫び」や「反省の表明」といった政策対応である。

日本は、そうした政策対応によって、「道徳上、日本に対して上にある」立場を確認する機会を得たと錯覚した韓国と対照的に、対韓関係に絡む様々な問題を前にして「場を円く収められる」と錯覚したわけである。

しかし、そもそも、政策対応としての「お詫び」や「反省の表明」が意味を持つのは、それによって、それまでの恩讐に区切りが付けられ、新たな関係が築き直されるという諒解が成り立つ場合である。

そうしたことの諒解が成り立つ「文明空間」とは、どこなのか。梅棹忠夫が「日本」文明圏域との近似性を観た「西欧」文明圏域では、戦争と平和が繰り返された歴史上の経緯を反映して、戦争に伴う「遺恨」を後に残さないという諒解が形成されてきた。

第2次世界大戦後、ナチス・ドイツの所業やそれに対する報復によって生じた「遺恨」ですらも、それを事実上、忘れるという対応が採られたことにこそ、「西欧」各国が統合への道を辿り得た一つの理由がある。

そして、今や明らかになっているのは、少なくとも韓国は、その「遺恨」を後に残さないという諒解が通用する「文明空間」に含まれてはいないという事実である。

日韓慰安婦合意に際して、その合意文書の中に「最終的にして不可逆的な解決」という言辞がわざわざ、入っていること自体が、日本と韓国にある文明上の「懸隔」を示唆している。

安倍晋三第2次内閣発足以降の対韓政策展開に際しては、そうした「懸隔」が従来以上に意識されているであろうと推察するのは、決して難しいことではない。

 

加えて、日本が対韓関係に際して陥った錯覚とは、韓国が米韓同盟の枠組の下で「西方世界」諸国同盟の一翼を担っていた事実に発している。

従来、中国や北朝鮮の動静を前にして、日米韓3ヵ国の結束が折に触れて強調されたのは、日本も韓国も互いに同盟関係を樹立していないにせよ、「西方世界」同盟網を支える趣旨では同じ立場にあると認識されたからである。

そうした理解の下、「韓国も、自由・民主主義・人権、法の支配に関して、日本と同様の価値意識を持っている」という言説が自明のように語られたわけである。

ただし、特に文在寅登場以降の韓国は、前にも指摘した通り、対北朝鮮融和姿勢に露骨に走ったとしても、日米両国を含む「西方世界」諸国同盟の結束を図ることに十分な熱意を示していない。

海上自衛隊対潜哨戒機が韓国海軍駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた一件が与えた衝撃は、日韓関係が「西方世界」同盟網の「最も弱い環」となっている事情が、従来の政治面だけではなく軍事面でも暴露されたことにある。

それは、米国にとっては、「自らの最も誠実な盟邦を背後から撃ち、自らが主導する同盟網に意図的に穴を開ける」振る舞いに他ならない。韓国が「西方世界」同盟網の一翼を担うという前提は、もはや自明のものではないのであろう。