「不機嫌な隣国」韓国に向き合うためにいまわれわれが考えるべきこと

「異質な文明世界」がある、という前提
櫻田 淳 プロフィール

韓国の政争と道徳観

目下、韓国の国内政局の様相は、「積弊清算」という言葉に表れる。たとえば『朝鮮日報』(日本語電子版、1月1日配信)に掲載された「『道徳争奪戦』の国・韓国」と題されたコラムは、文在寅執政下の「積弊清算」の様相を朝鮮王朝後期の様相に擬えた上で、次のように記している。

「朝鮮時代では、道徳さえ争奪すれば権力と富を同時に持つことができた。したがって、当時の党争は相手の能力不足を指摘するよりも、道徳的欠陥や問題点を叱責することに集中していた。数百年前と同様に、今も韓国の政界は自身の道徳性を立証するだけにとどまらず、相手の不道徳さを暴露しようと、ありとあらゆる手を使っている」

この『朝鮮日報』コラムが指摘したように、「党争は相手の能力不足を指摘するよりも、道徳的欠陥や問題点を叱責することに集中していた」様相は、小倉紀蔵(朝鮮半島思想史家)を含む多くの朝鮮半島研究者が朝鮮半島史の特色を成す「理への執着」として説明してきたものである。

 

対日関係の悪化を来たしている韓国サイドの事情とは、この「党争」の論理が「国内政局」だけではなく「対日関係」にも通用すると錯覚していることにある。

「道徳上、上か下か」が韓国における「党争」の行動準則であり、その準則が対日関係という「対外関係」にも通用すると韓国政府が考えているならば、河野談話や村山談話、さらには日韓慰安合意が持つ意味が浮かび上がる。

こうした案件に際して、日本が一旦、「謝罪」をしてしまえば、韓国が「道徳上、上である」と認めることになる。「道徳上、上に立てば、権力も富も手にできる」という「党争」の論理に従えば、それは、韓国が対日要求を延々と続けることを許すことである。

河野談話以来、日本が続けてきた「お詫び」や「反省の表明」といった政策対応が日韓関係の閉塞に行き着いているのは、それが韓国にとって「道徳上、上である」と日本に対して堂々と確認する材料であるからに他ならない。

海上自衛隊対潜哨戒機が韓国海軍駆逐艦からレーダー照射を受けた一件に際して、韓国政府が海上自衛隊対潜哨戒機の「異常接近」を咎めて「謝罪」を日本に要求する対応に走っているのも、その同じ謂いであろう。