背後にあった熱狂

私はボロ切れみたいな気持ちでカフェを出ようとした。

その時、背後で歓声が上がった。

背後のソファ席では、20歳前後だろうか、2人の男の子と1人の女の子がカードゲームに興じていた。

マジック・ザ・ギャザリング。私が子供の頃からあるゲームだ。

女の子は興奮した様子で「勝った!」と叫んでカードをテーブルに叩きつけ、男の子は「ちくしょう、やられた」と言い自分を頭をぐしゃぐしゃにしていた。

「お前なんでそんなに強いの」「ねえ、もう一回やろうよ」

彼らはゲームに夢中で、たった今この場で起きたことなど何も気づいていないようだった。

女の子の目に浮かぶ熱狂からは、下卑た男の冗談も、侮蔑的なセリフも、まるで耳に届いていなかったことが伺えた。

その黄色い声が、沈鬱な気持ちに光のように差し込んだ。

私が子供の頃、それは男のゲームだった。私はそのゲームを男の子に混ざってやりたくてしょうがなかった。

けど、女である自分がそれを「やりたい」ということはなんとなく禁じられている気がして声に出せなかった。黙って一人でデッキを眺め、シャッフルするだけだった。

けど、今、背後の女の子はそれを全力で楽しんでいる。男か女かなんて、まるで関係なく。

私は一生忘れない

守りたい、と強く思った。

彼女が――彼女たちが、私たちが、夢中で好きなものに没頭できる世界を。

下卑た男の冗談に触れ、自分の性別を意識し、自分を弱いもののように感じずにいられる世の中を、突然誰かから――自分をモノのように扱う相手から――傷つけられたり、ゲームを中断させられ、何か、自分がこの場において不都合で、場違いな存在だと思わせられずにいられる、そんな社会を。

私たちを黙らせるその圧力を、性差別を、性的侮蔑を跳ね返し、男も女も関係なく好きなものに没頭でき、またそれを良いこととする社会の空気を。

〔PHOTO〕iStock

いや、それを作らなくてはならない。

そのためには、私たちは声をあげなければいけないのだ。

私たちを、「彼らではない」という理由だけでモノ扱いし、声を封じ込めようとするあの空気に対抗しなければならない。私たちを枠に入れ、押しつぶそうとするあの「力」に。

場違い、思い込み、思い上がり、過剰反応という中傷に耐えて。

蔓延する「空気」という圧力を跳ね返して。

とても、怖いことだけれど。

私はあの、私に向かって突き出されたハイネケンの瓶越しの左手の中指を一生忘れないだろう。

そしてまた、彼女の熱狂を帯びた眼差しを――私たちから何かをえぐりとろうとする力さえ跳ね返す、あの夢中の歓声をも。