彼が私を指したのは、ちょうどたまたま私が彼の真正面に座っていたからにすぎない。

そうでもなければ、ランニングシューズに灰色のパーカー、ルルレモンのヨガ用ストレッチパンツと言ったラフな出で立ちで、黒縁眼鏡をかけた女をセックスワーカーに例えるなんてことを彼はしなかったはずだ。

(レイプや性暴力を受けた時の女性の服装はラフな場合も多いというが、性的侮蔑を受ける時の女性の服装もまた、性的であるかどうかとは関係がない)

もしくは、私の並びにいたのが体格のいい黒人女性、ヘッドホンをつけてPC作業に没頭している韓国人の女の子、カップル客でなければ。

だがしかし、そのことが却って私を絶望させた。

その男が私を単なるモノとして扱っていること――そのときたまたま目に入った"なんでもいい"存在、ランダムに選び、くしゃくしゃに丸めて投げ捨てても、痛くもかゆくも感じない存在として捉えていること――を、よりはっきりと浮き彫りにしていた。

戦う前から惨敗していた

私は立ち上がり、文句を言おうとした。

お兄さんの代わりに「あなたは失礼だし、この場にとってふさわしくないから出て行ってください」と面と向かって男に伝えるべく、カウンターまで歩いて行った。

けど、あわや声をかける寸前まで近づいたそのとき――これは自分でも心底驚いたのだが――私は45度進行方向を変え、男の脇を素通りし、そのままカウンター向こうのトイレに駆け込んだ。

男の手に掲げられた、バーの照明に光るハイネケンの瓶が目に入ったとき。

男の身長が私より20センチ以上高いのを確認したとき。

カウンター越しに並ぶ2人が、紛うことなき同じ性別であると実感したとき。

その0.5秒のうちに、私の脳は恐れを喚起して私の進路方向を変えさせた。

〔PHOTO〕iStock

もし、逆上させてあのハイネケンの瓶で殴られたらどうしよう?

自意識過剰のブスって、言われたらどうしよう?

カウンターのお兄さんが、味方をしてくれなかったらどうしよう?

ひどく惨めな気持ちだった。戦う前から惨敗していた。

カウンターを通り過ぎる瞬間、お兄さんはすまなそうな顔をしていたが、そんな顔しても無駄だよ、と思った。

男は卑猥な冗談を大声で言い続けている。そのうちドアの開く音、「先輩、まずいっすよ」と言う声が聞こえ、やがてトイレの外は静かになった。

男が消えた後も、しばらく動悸は収まらなかった。

「ただ女である」というだけで…

これまで生きてきて、「女だから」という理由だけで明確な不利益を被ったことはない(東京医大の女子受験生のようには)し、性暴力に泣き寝入りしたこともない。それはとても幸運なことだ。

それでも一年に一度くらい、こんな風に、ただ女であるという、それだけのことが悔しくて眠れないような夜がある。

上に書いた通り、男は私に指一本触れなかったし、私に向かって直接何かを言ったわけではない。読み手によっては「それが何か?」と思うかもしれない出来事である。

けれどもこうしたことがあるたびに、私はまるで私の人格というものが、そこに存在しない、無価値なものであるような気になる。

なぜ、彼は自分たちが「選ぶ」側でいると思い込めるのだろう。

女を、酔ったまま、中指で指差しても良い存在だと――まるで道端に落ちたゴミか何かのように――考えられるのはなぜだろう?

それを周囲が止めずに平然と受け流すのはなぜだろう。

スタッフのお兄さんが、自分のゲストが性差別されているにもかかわらず「なだめる」という方法でしか加害者を止めずにいるのはなぜだろう。