高校も大学も頭を抱える「センター試験改革」あまりに多すぎる問題点

2021年1月、新試験開始だが…
倉元 直樹 プロフィール

いわゆる主体性評価に関しては、「主体性」とは何を意味するのか、コンセンサスがないままに事態が進んでいる。

主要な選抜資料として期待が集まる調査書は、長年にわたって活用が提唱され続け、何度か本格活用が試みられながら実現しなかった。大学入試の資料としての本質的な欠陥は少なくとも50年以上前に明確に認識されていたが、未だに手つかずのままである。

こうした問題が放置されたまま、現在進められているのは主体性評価への利用を謳い文句とした電子ポートフォリオ(学習に関わる活動のみならず、部活動や生徒会活動などの課外活動、留学、ボランティア活動といった学校外活動、取得した資格など、生徒の生活に関わるありとあらゆる活動記録をデジタル化することが構想されている)の導入である。

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ポートフォリオ作成に必要とされる手間と費用は膨大だ。受験生や教員に労力、時間、費用を割かせるくらいなら実質的な教育学習活動自体にそれを当てる方がよほど教育的な効果が期待できる、という意見には説得力がある。

ポートフォリオにどのような情報を分類、蓄積し、整理して保管しておくかも大きな課題である。網羅的な行動目録が存在し、全受験生のあらゆる行動が、あらかじめ定められた共通コードやフォーマットに整理され、管理されたとしても、入試に活用するのは不可能に近い。

さらに、高度に集約された濃密な個人情報である電子ポートフォリオを誰が保管し、管理するのか、誰が誰に提供する権限を持つか、本人の管理下を離れた情報が適切に管理され、目的外利用されないことをどのようにして保証できるのかなど、新たな問題が山積している。

「現状認識」があまりに古すぎる

こうした現実的かつ技術的な問題に加え、「そもそも論」として、今回の試験の導入が前提としている「現状認識」があまりに古すぎる――具体的に言えば、80年代に批判されたような状況を念頭においたようなものになっている――点にも注意を払わなくてはならない。

今回の新試験導入のきっかけとなった高大接続答申(前述)が描いた高校教育や大学入試の状況は、表現こそ違えど、30年以上前の中曽根政権下でまとめられ、昭和60(1985)年に公表された臨時教育審議会の第1次答申の時代に行われていた議論の焼き直しに映る。

例えば、一見斬新に思える英語民間試験の活用による4技能試験の導入は、すでに昭和59(1984)年には経済同友会から提言されていた。臨教審答申は共通1次からセンター試験への転換のきっかけとなり、現在に至る教育改革、入試改革の流れを作った教育史に残る重要なメルクマールである。

 

臨教審以後、高校教育や大学入試は長年かかって大きな変貌を遂げた。例えば、偏差値に偏った進路選び、暗記や記憶偏重の受験勉強といった批判を受け、大学は積極的に受験生に向けた情報発信を行うようになった。

高大連携活動が活発になり、高校と大学の間に互いに顔が見える関係性が構築されていった。反面、洪水のように押し寄せる大量の大学情報を的確に取捨選択し、生徒のニーズに合わせて整理して進路指導に生かすことが高校における担当教員の重要な職務になっている。

大学に関わる情報が偏差値程度しか受験生に届かなかった時代とは大違いだ。細かい話は紙幅の関係で省略するが、時代の先取りを謳う高大接続答申のスキーム自体がこうした「時代の変化」を踏まえたものとは感じられないのだ。