阪神淡路大震災直後、作家浅田次郎がどうしても書き残したかったこと

再録 勇気凜凜ルリの色 非常について

浅田次郎といえば、『蒼穹の昴』『鉄道員』『壬生義士伝』『天切り松闇語り』など、数多くの名作小説を世に送り出した、押しも押されもせぬベストセラー作家である。

彼が、まだまったく無名だった25年前、週刊現代でエッセイの連載を始めた。タイトルは『勇気凛々ルリの色』。彼の世代が少年の頃、夢中になって見たテレビドラマ『少年探偵団』からつけられたタイトルだ。

連載開始から4ヵ月後の1995年1月17日早朝、今から24年前の今日、関西方面を未曾有の大地震が襲う。若き日、陸上自衛隊の「一兵卒」だった作家は、その直後、何を思い、何を原稿用紙にぶつけたのか? 

当時の担当編集者だった私は、原稿を受け取り目を通したときの興奮を、四半世紀を経た今も忘れることができない。

 

元陸上自衛官の作家が経験した災害派遣

非常呼集のラッパが営内に鳴り響いたのは深夜であった。

「第四中隊、総員起こし。すみやかに舎前に集合。携行品は雨衣、中帽、水筒、円匙(えんぴ)!」

当直陸曹がインターホンでそう言い、当直士長が「非常呼集――ッ!」と叫んで走る。

ベットからはね起きて装具を身につけ、舎前に整列して点呼をおえるまでに五分とはかからなかった。

豪雨の降りしきる営庭にはすでに車両が唸りをあげており、部隊が目黒区内の浸水池に向けて出発するまで、15分とはかからなかったはずである。

現場に着いてみると愕(おどろ)くべきことには、私たち普通科(歩兵)連隊よりも先に、朝霞の施設(工兵)隊が到着しており、あちこちの民家の屋根にはすでにサーチライトが取り付けられて、泥にうまった被災区域を煌々と照らし出しているのだった。

マンションのベランダに施設の指揮官が仁王立ちに立って、「市ヶ谷は遅い! 支援部隊に遅れをとるとは何たることか!」と怒鳴っていた。

丘陵の斜面から鉄砲水が噴出して、わずかの間に胸までつかるほど増水していた。そこで隊員が二人一組になってお互いをロープで結び合い、一面の泥河となった周辺を足先で探りながら歩き回った。マンションの駐車場に入ったとき、マンホールに吸い込まれそうになってしこたま泥を飲んだ。

ようやく水が引き、住民全員の安全が確認されたのは夜の明けるころであった。

――これは、私が自衛官であったころに一度だけ体験した災害派遣の記憶である。