まだ誰も答えが出せない「フェイスブックをどうするか」という難題

大統領選とソーシャルメディアの行方
池田 純一 プロフィール

「4強」がもたらす破滅的な時代

大事なことは、経済的自立の機会を増やすことによって、経済的隷属に陥るのを回避することにある。この点ではスコット・ギャロウェイの『GAFA』の議論とも親和性が高い。

ちなみにこのGAFAという言い方は、アメリカではほとんど聞かない。『GAFA』と邦題がつけられたギャロウェイ本にしても、原書のタイトルはシンプルに“the four”であり、単に「4強」といってるだけのことだ。

しかもギャロウェイが4強をピックアップしたのは、ヨハネの黙示録の「4騎士」にあやかっただけのことで、あくまでもレトリックのために4としたにすぎない。むしろ彼の意図は黙示録の方にあり4強が破滅的な時代をもたらすことを憂えてのことだ。

それよりもアメリカの報道では「FANG」を耳にする。FANGとは、Facebook、Amazon、Netflix、Googleの4社のことであり、アメリカ社会においては、Appleよりも、映像エンタテインメントの独占的プラットフォームと化してきたNetflixへの注目のほうが高いということだ(もっとも、FANGにさらにAを加えた「FAANG」という表現もあって、もちろん、このAはAppleのAである)。

FacebookにしてもNetflixにしても、要するに、20世紀の社会を根底で支えてきた「マスメディア」の地位を奪うものとして注目され、それゆえ警戒もされている。

〔PHOTO〕gettyimages

同時に、アメリカ社会の場合、「マスメディア」は20世紀を通じて様々な訴訟を経て、その法的位置づけを確保し、たとえば「表現の自由」のような法的価値の守護者たらんと振る舞ってきた。

Facebookを執拗に糾弾するNYTも、そのようなマスメディアの一つであり、なによりジャーナリズム機関だった。

彼らは、特定の法があったとしても、その運用にあたって、どの程度までの逸脱ならばギリギリ合法なのか、すなわち、社会的に容認可能なものか、個別の裁判を通じて、実質的なガイドラインの構築に貢献してきた。

そのような「現場の努力の積み重ね」に対しても、マスメディアとは根本的に構造の異なるソーシャルメディアも、この先、対処していかなければならなくなる。それが判例法の、司法の力の強いアメリカ社会における、ボトムアップのルールメイキングのあり方だからだ。

 

今年だけしかできない議論

もちろん、先述したGDPRのように、トップダウンの立法によって、具体的な係争が生じる前に、先んじてルールを被せてしまうほうがわかりやすい。

けれども、立法の成立には議会の強いリーダーシップが必要だ。通常、このリーダーシップは、議会の多数党が担い、党としての意向を予め決めた上で議場に臨むものだ。

けれどもアメリカの場合は、それほどまでには政党の結束が強いわけでもない。政党は、どちらかといえば選挙のための互助組織としての性格が強く、選挙が終われば議員が議会の中で独自に徒党を組むようになりがちだ。

興味深いことに、ソーシャルメディアの登場は、そのような政治家の独立独歩路線に拍車をかけている。必ずしも政党の組織をあてにしなくても、支持者も活動資金も集めることが可能になった。その分、若い政治家の主張には、どうしても譲れない争点が伴うことになる。

おそらくはソーシャルメディア以前であれば、特定の政治的活動団体、すなわちインタレスト・グループに属し、その団体を足場にしてプロの政治家に対して影響力を行使しようとしていた人たちの中からも、そのコアとなる主張をもとに自ら直接政治家を目指すケースが目立ってきた。

つまり、従来の「利益団体―政治家」と2つに分かれていたものが、今では一致することが可能になった。特に選挙区が小さく任期も2年と短い下院議員の場合、即効性が高い。