『キム・ジヨン』を読んだ女子が抱く、共感・苦しさ・羨ましさの正体

韓国女性は「声を上げる」を知っている
西森 路代 プロフィール

映画『来る』では、妻夫木聡演じる秀樹という登場人物が、一見、子育てに積極的で「守る」「責任」を意識しているように見えるのだが、実はブログで良い父親であることをアピールしたいだけであったことが明かされる。

結婚を約束した男性が女性に向かって言う「責任を持つ」「君を守る」「幸せにする」といった言葉は、つい最近までは女性にとって、最も素敵な言葉のように思われていた。

しかし、女性の社会進出が進み、男性も家事、子育てなどに主体的に取り組まなければならない社会となった今、男女の役割も責任も、性別ではっきりと分かれるものではなくなった。お互いが何をすべきか、簡単にはコンセンサスが取りづらくなった。それを考えれば、簡単に「責任」「守る」といった言葉を口にはできないはずだ。

そんな中で、男として「責任を持つ」と簡単に言ってしまうことは、むしろ「空手形」を切る無責任な行為のようにも思えてしまう

以前であれば、分業で成り立っていた家庭の姿が崩壊したために、こうした「耳触りのいい言葉」を空々しく感じてしまうというのは、日本も韓国も同じなのかもしれない。

女子が存分に教育を受けられるーー日韓の違い①

しかし、今のところあまり指摘されていないように思うが、小さいものから大きなものまで日韓での違いも感じる。

もっとも大きい違いは何か。筆者がとくに興味を引かれた部分をご紹介しよう。

一つめは、「教育」についてだ。キム・ジヨンの母親の時代、韓国では、とにかく家の中で父親や長男が尊重され、女子の教育はないがしろにされていた。そのため、母親は、教師になりたくてもなれなかった悔しい過去を持っている。

ところが、キム・ジヨン本人が青春期を送る1990年代後半以降は、女子であっても「安定した職場に入れる可能性の高い大学に進学すること」(64ページ)が当たり前のこととして期待されている。

〔PHOTO〕iStock

「そのころ(筆者注:キム・ジヨンが大学に行くころ。2000年前後)になると、女だから勉強ができなくてもいいとか、学歴がなくてもいいと考える親はいなかったようだ」(65ページ)と明言されているのだ。

つまり、キム・ジヨンを含む韓国の女性たちは、男性に劣らず社会で活躍することを、少なくとも家庭のレベルでは期待されている。そしてその延長線上で、進学についても否定的な意見を投げつけられることが少ない(そういう傾向を示唆する描写が多い)。

もちろん、たとえ教育の面で進歩的であったとしても、「決定的な瞬間になると『女』というレッテルがさっと飛び出してきて、視線をさえぎり、伸ばした手をひっつかんで進行方向をかえさせてしまう。それで女子はなおさら混乱し、うろたえる」(66ページ)とあるように、「ガラスの天井」が厳然として存在していることは、その後の本作の展開からも間違いない。

「ガラスの天井」を浮き彫りにすることが本書の一つの使命だったとも言える。

 

しかし、こうした韓国の教育のあり方を日本のそれと比べてみるとどうだろう。日本では昨年、東京医大において女子受験者を一律減点していたという事実が発覚した。

さらにその後続々と、女性が高い教育を受け、男性と同じように機会を与えられることに対していまだに否定的な風潮があることが指摘されたのは記憶に新しい。そんな日本と比べると、少なくとも「女子の教育」という観点においては、韓国のほうが考え方が進んでいるように思える。この点は、日韓の間での「違い」であるように感じられる。