信じたくなかった…ゲイ雑誌『バディ』が今年、休刊することの意味

充実した誌面、コミュニティ性もあった
砂川 秀樹 プロフィール

イベントの継続的な支援

そして、『バディ』がコミュニティに大きな影響を与えたのは、誌面を通じてだけにとどまらない。

私が、『バディ』の休刊に強い思いを抱くのには、自身がイベントを主催してきた際に支えられた経験を通して実感している、ゲイコミュニティ(今の立地点からは、他の性的マイノリティを排除したものとして批判を受けるだろうが)への貢献に対する思いがある。

2000年、私が、東京で4年ぶりとなるパレード「東京レズビアン&ゲイ・パレード」を開催すると決めたとき、どれだけ人が集まるのか、どんな雰囲気になるのかすら全く予想がつかなかった。

その前におこなわれていたパレードが、混乱に終わるという非常にネガティブなイメージを残していたことも大きく影響していた。

しかし、新しい組織を立ち上げ開催に向けて動き始めたパレードのために、『バディ』や『G-men』は、協賛だけでなく、ブースやフロートを出して支援してくれた。

特に、『バディ』は平井社長が中心になり、様々な関連企画で盛り立て、2000年代に開催したパレードを支え続けた。

『バディ』が応援したのは、東京のパレードだけではない。札幌など各地のパレードにも協賛し、ブースを出展するなどしてイベントを支援し盛り上げ続けた。

今は、一般の大企業からの協賛も多くつくようになっているが、当時は、ゲイビジネス関係の協賛によりなんとか運営していた状態で、その支援がなければ、イベント開催は厳しかったろう。

 

この時代の蓄積が、その後のより大きな、より広く社会に向けて発信されるイベントの土台となったことを考えるならば、こうした支援の功績はもっと語られるべきかもしれない。

この話は、一見、都市部を中心とした、とても限られた個人的なつながりだけの話に聞こえるだろう。

しかし、私は、雑誌の経営者、編集者だけではない、具体的な対面的つながりの中で雑誌がつくられていたことが、直接的な関係だけでなく、読者にもある種のコミュニティ性を感じさせる存在となっていた理由と考えている。

〔PHOTO〕iStock

新しい時代に向けて

今の時代からすると、こうした語りは、ゲイ雑誌やゲイコミュニティといったゲイであることを通性としてつながるコミュニティ性へのノスタルジーに聞こえるだろう。それだけ、ゲイを、LGBTを取り巻く環境は大きく変わった。

もはや、ゲイであるということを第一の強い共通性として結びつくことは難しくなった。それよりも、社会的地位、政治的立ち位置などの差異が目立つようになり、LGBTというくくりに共感するものとそうでないもの、といった違いも大きくなっている。

すでにそうなっているが、これからは、ますます違う共通性や共有性に基づき、あたらしいコミュニティやネットワークが誕生していくだろう。

しかしその流れを歴史的に位置づけていくためにも、背景にあるゲイ雑誌の歴史はもっと書き残されていく必要があると思う(『バディ』が出る前のゲイ雑誌がそれぞれ果たしてきた大きな役割もあるし、現在進行形の『SAMSON』もある)。

比較的近くにいた立場として、もちろん、『バディ』のような、相当数のページの雑誌を毎号作り続けることの厳しさ、その中でイベントに協力しなければならない経験をした編集者たちには、ここで書いたような「美しい話」ではすまないことが多々あったことは承知している。文字通り、多くの人の涙と汗がこの雑誌の歴史をつくった。

そうした、多くの人が経験した大変さへの思いも含めて、平井氏はじめとして、『バディ』づくりに関わったみなさんに心から感謝申し上げたい。ありがとうございました。

『バディ』の25年間と、自分のコミュニティ活動や研究が同時代であったことを幸せに思います。そして、新しいメディア展開にも期待しています。