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信じたくなかった…ゲイ雑誌『バディ』が今年、休刊することの意味

充実した誌面、コミュニティ性もあった

多くのゲイが衝撃を受けた

昨年12月、1994年から25年間、毎月発行され続けてきたゲイ雑誌『バディ』の休刊が発表された。この知らせに、多くのゲイが衝撃を受け、関わった作家たちもSNS上で、寂しい気持ちと、これまでの感謝の思いを表明していた。

私は、初めてその話を耳にしたとき、にわかに信じがたい(というより信じたくない)思いと、ついにその時が来てしまったか、といった気持ちが複雑に混ざり合い、どう言葉にしたらいいのかわからなかった。

冷静になれば、1990年代中頃の最盛期には、『薔薇族』、『アドン』、『さぶ』、『SAMSON』、『バディ』、『G-men』(創刊順)と6誌*存在していたゲイ雑誌も次々と休刊になり、ここ3年は『バディ』と『SAMSON』の2誌になっていたことを考えれば、驚くことではなかっただろう。

*『The Gay』の休刊時期が明確ではなく、その時代に7誌あったと数える人もいる。

しかし、休刊発表の前月に、「ゲイコミュニティの未来へ」と題された特集が組まれた、いつもより分厚い「25周年特別記念号」を手にしたとき、「あー、まだまだ、がんばってくれそうだなぁ」と、勝手な期待を抱いたことが、「信じたくない」という思いにつながっていた。

こうした衝撃や複雑な思いは、ゲイではない人、そうであっても雑誌の最盛期を知らない若い人などにはピンと来ないだろう。あるいは、同年代のゲイでも、「それほどまでは」と思うかもしれない。

私が、それほど強い感情を抱くのは、まず、1990年代後半の新宿二丁目でのゲイコミュニティ意識の形成を研究したものとして、『バディ』や、『バディ』から分かれる形でできた『G-men』の存在が、そうしたコミュニティ意識に大きな役割を果たしたと考えているからだ。

では、この2誌はそれまでのゲイ雑誌とどこが違ったのか。

 

新しいゲイ雑誌の誕生

1994年に『バディ』が創刊されたとき、広く流通しているゲイ雑誌としては、『薔薇族』、『アドン』、『さぶ』、『SAMSON』があった。

その中で、圧倒的に名が知られ、もっとも発行部数が多かったのは、1971年に創刊された日本初のゲイ商業誌『薔薇族』だった。

しかし、同誌の編集長であった伊藤文學氏は、異性愛者であることを明言しており、異性愛者が「寄り添う」という姿勢が土台にあった(当然、それにかかわらず、あるいはだからこそ、同誌に救われた人たちもたくさんいるだろう)。

もちろん、『薔薇族』には、ゲイの編集者も参加し、多くのゲイの作家や漫画家、イラストレーターが作品を寄せていたが、時代性もあり、全体として、ゲイであることは隠し、こっそりと男同士の関係を楽しむもの(=クローゼットでいる)という価値観が支配的であり続けた。レズビアンとの結婚のためのコーナーがあった時代もあった。

『さぶ』や『SAMSON』*は、それぞれに、出版社の性質や流通規模、読者層に大きな違いがあったものの、隠すものという志向の強さは、基本的に『薔薇族』と同様だった。

*『バディ』休刊後、紙媒体として残るゲイ雑誌は『SAMSON』だけになるわけが、同誌は高年齢層をターゲットとしており、インターネットの影響を受けにくかったこと、少数ながら安定したコアなファンが購買し続けていることが継続している理由として考えられる。

一方、『アドン』は、1980年代の中頃から、全く異質な誌面展開をおこなっていた。編集長の南定四郎氏が、1986年に国際的なLGBT(当時はゲイとレズビアンが圧倒的に中心だった)の団体の日本支部を立ち上げたことで、「ゲイ解放運動」の情報が多く掲載されるようになっていたのである。

また、南氏が、1994年日本で初めての性的マイノリティのパレード「東京レズビアン・ゲイ・パレード」開催の中心人物となったことから、同誌がパレード参加をうながす役割も果たした。

そういう意味では、のちの『バディ』よりも、平等性や権利を明確に意識した、ゲイであることを積極的に肯定した強いメッセージを発信していた。現在、40代後半から上の世代には(私もそうだが)、その『アドン』に影響を受けた人たちが、少なくない。

しかし、社会運動とは違う形で、さらにより広い層に影響を与えたのが、『バディ』や『G-men』だった。