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「母親と言葉が通じない…」親に捨てられた、ある青年の苦悩

育てられない母親たち㉖
親に捨てられた子供たちを追う本シリーズ。今回、関西のとある町で会った斉藤一馬(仮名、以下登場人物の名はすべて仮名)は、フィリピン人女性を母親に持つ。親からのネグレクトによって、一時期グループホームに入っていたという。

私は彼に話を聞いた時、思わず「三鷹ストーカー殺人事件」の犯人や、「川崎中1男子生徒殺害事件」の犯人の生い立ちと重ねてしまった(犯人たちの生い立ちは、連載の記事を読んでいただきたい)。

なぜ、そう思ったのか。それを考えるために、彼の話に耳を傾けてみたい。

母親と言葉が通じない

斉藤一馬は、京都の繁華街に近い町で生まれた。

母親のメイはフィリピン人で、フィリピンパブと多国籍エステ店で働いていた。店で知り合った男性との間に生まれたのが、長男の一馬だった。日本人客は既婚者であり、一馬が生まれる時に40万円の養育費を払って消えたという。

その後、メイは別の男性との間に、2歳下の妹を産んだ。こちらの男性とは一度籍を入れたものの、わずか一年半で離婚。メイは一馬と妹をシングルマザーとして育てることになった。

メイは仕事を口実に、幼い子供二人をアパートに残してほとんど帰って来なかった。新しい恋人のところへ行っていたようだ。その間、一馬たちは近所に暮らすフィリピン人の中年女性の家に預けられていた。

一馬は語る。

「保育園のお迎えとかは、すべてそのおばさんがしてくれたよ。夕食もそっちの家で食べて、21時とか22時になるとアパートに送り届けて寝かしつけてくれるんだけど、いつも寝たふりしてたね。母さんに会いたかったんだ。

おばさんがいなくなると、妹と二人で目を覚ましてゲームをしながら母さんの帰りを待っていたのを覚えているけど、会えたっていう記憶はほとんどない。朝になっても帰らないことの方が多かったから」

小学校に上がると、一馬は母親との「距離」をつよく感じるようになる。メイは二十歳くらいで日本に来てからずっとフィリピンパブや多国籍エステ店でしか働いておらず、来日10年くらいになるのに片言の日本語しかしゃべることができない。なんとか単語は言えるのだが、言葉をつなげて自分の意志を相手につたえることができないのだ。

 

そのため、一馬はメイの言いたいことがわからなかったし、メイも子供たちに気持ちをつたえられずにいら立ちをつのらせて怒ってばかりだった。メイが子育てを放棄していたのは、そうしたこともあったのだろう。

小学生になってからは、一馬と妹は近所の中年女性の家に預けてもらえなくなった。代わりにわずかなお小遣いをもらって、自分たちで何とかするように言われたのだ。
一馬は妹の世話をしながら、お金がなくなればコンビニのゴミ箱を漁り、水道が止まれば公園へ水を汲みに行った。電気が止まると、夜でもカーテンを開けて外灯の光を入れた。

家だけでなく、学校での生活にも楽しみを見いだせなかった。学校では、見た目や毎日同じ服を着ていることを口実に、同級生からいじめに遭っていたのだ。母親に相談することもできず、小学校五年生くらいの頃からだんだんと不登校になっていく。