高校サッカー史上最大の歓声を集めた「消えた天才」の壮絶人生

「半端ない」のは大迫だけじゃなかった
現代ビジネス編集部

自分があきらめなければ夢は逃げない

高校卒業後、将来、ヨーロッパでプロとしてプレーすることを夢見た羽中田は、サッカー推薦による大学進学、サッカー強豪企業からの誘いをすべて辞退し、一般受験での大学進学を目指して浪人することになった。

 

選手権から8ヵ月後の夏。友人宅から自宅に向かってスクーターを走らせていた。中央本線の跨線橋で下り坂にさしかかった瞬間、「バンッ」と大きな音をたてて前輪がパンクする。羽中田は、空中に投げ出され、激しく叩き付けられた。何が起こったのかわからなかった。

朦朧としていた意識が徐々に戻り、起き上がろうとする。ところが、両脚がまったく動かないのだ。

羽中田は、身体が動かない恐怖に震えながら叫んだ。

「なんでオレばっかりこんなことになるんだ! なんでオレばっかり!」

救急搬送された病院での診断は、脊髄損傷による下半身不随。黄金の脚は二度と蘇ることはなかった。

――あれから35年の月日が流れた。

自分の身に置き換えれば、誰もが人生をあきらめたくなるような不幸に見舞われながら、羽中田は決して絶望することはなかったという。

つらいリハビリを経て、猛勉強の末、山梨県庁に就職。1993年のJリーグ開幕をきっかけにサッカーの指導者を志し、1995年、県庁を退職して、スペイン・バルセロナに留学する。2000年に帰国してからは、メディアでサッカー解説をしながら、暁星高校サッカー部でコーチを務める。2006年には、Jリーグの監督も務められるS級の指導者ライセンスを取得した。

その後、唯一の車イスサッカー監督として、カマタマーレ讃岐、奈良クラブ、東京23FC、ブリオベッカ浦安で指揮を執った。現在は、スカパー!でヨーロッパサッカー中継の解説を務めている。

FCバルセロナの本拠地カンプノウで。後ろは、いつも傍らで支えるパートナー・まゆみ夫人
バルセロナ留学時代。FCバルセロナのFWデコ(左)とクライファート
カマタマーレ讃岐の監督時代

この間も道は決して平坦だったわけではない。何度も壁に阻まれながら、粘り強く突破してきた。普通の人生の何倍もの不幸に襲われながら、なぜ心が折れなかったのか。その理由を、羽中田は短い言葉で語ってくれた。

「だって、自分があきらめなければ夢は逃げませんから」

2015〜17年は、東京23FCの監督を務めた

病も大怪我も羽中田の夢を奪うことはなかった。9歳のとき、ヨハン・クライフが見せてくれた「サッカーを楽しむ」という夢を、羽中田は今も追い続けている。

羽中田昌を知る者は誰もが、その妻・まゆみさんの大ファンだ。羽中田の苦闘をいつもニコニコと笑いながら支えてきたまゆみさん。2人の波瀾万丈の半生を描いた感動作だ。

羽中田昌オフィシャルブログ「ハチュマサ通信」https://www.hachumasa.com