20年前の「日産の救世主」ゴーン、その知られざる〝光〟の素顔

日本と、日本人を愛していたのに……
山口 昌子 プロフィール

自分の過去はすべて日産再建のため

ゴーンは確かに、「カッター・ゴーン」の呼び名通り、日産に部品を納めている関連会社をいくつか切った。

彼らが今も恨んでいるとの報道があるが、実はゴーンが最も感激したのが、彼ら関連会社の態度だった。デモやストなどの激しい抵抗を覚悟していたところ、関連会社の社長がやってきて、こう言ったからだ。

「これまで日産のお陰でご飯を食べてきました。今こそ、自分たちは窮地に陥っている日産に恩返しをする時です」と言って、リストラに応じたからだ。

「日本人は素晴らしい。サムライだ」と感嘆していた。

photo by Gettyimages

2003年7月24日午後にルノー本社で連載用にインタビューしたのが、ゴーンと会った最後になった。広報担当が、「45分」と時間を限定したが、約1時間、話してくれた。

この時、ゴーンは「車とは高貴な製品である。権威があり格調高い製品であると同時に活発であり、時代に応じて変化し、多くの最新技術や組織的仕事や検査を必要とする製品である。高貴な製品である車を製造している企業は従って、高貴な企業なのです」と言った。

さらに、こうも言った。「私が日産に行く前に出会ったすべてのことは、日産再建のための準備だったという気がしました」。

つまり、ミシュランやルノーでの体験は「再建が不可能だと判断され、すでに2回も再建に失敗し、決して成功しないといわれていた日産の再建のための準備だった」と。

20年前の「光」の行く末

東京地裁でゴーンは、「日産に損害を与えていない」と特別背任容疑を否定して無罪を主張。「日産を愛している」とも言った。

この言葉に嘘偽りはない、と思うのは、20年前のゴーンの強い光に幻惑されているからだろうか。

ゴーンは05年にシュバイツアーの後任として、ルノーの社長に就任したが、初の株主総会の時、檀上のゴーンが、いつになく緊張して見えた。用意したテキストを読んでの演説では、ルノーが、「フランスの代表的企業」であることを、しきりに強調した。

ゴーンが「レバノン人」、結局は、旧植民地出身の「外国人」であることの裏返しに思え、ちょっと同情した。

ゴーンがパリにやってきたのは、「成功している従兄のように」、高等商業専門学校(HEC)に進むためだった。

ところが、高校の教師が、理数系に優れているゴーンに「ポリテクニック」を強く勧めたので、方向転換したと言っていた。HECもエリート校の1つだが、文字通り、商業専門学校だ。

ゴーンの父親は実業家と紹介されている。つまり一族は古代地中海世界に繁栄をもたらしたフェニキア商人の血を引いているというわけだ。

ゴーンは東京地裁で対決姿勢を鮮明にしたが、ルノーが、そしてフランス国家が今後、ゴーンを解任せずに、どこまで支持するのだろうか。

2月14日にはルノーの2018年度の決算報告が行われる。6月12日の株主総会も控えている。これまでゴーンが2つとも主宰してきたが、現状では「無理」との声が強い。

(敬称略)