20年前の「日産の救世主」ゴーン、その知られざる〝光〟の素顔

日本と、日本人を愛していたのに……
山口 昌子 プロフィール

この日の午前、ルノーの広報担当者に、塙が以前も2回、慌ただしく訪仏した問題について、電話取材したら、「日産との提携の可能性について検討中」だが、詳細などについては言えない」と答えた。

ただ、「交渉は最終段階に入っている」とこれはオフの条件で答えたので、事態が大きく進展する可能性ありと送稿した。

このニュースは極めて重要だと思ったが、ベタ記事で掲載された。日本側は誰もが、まさか大企業の日産が破綻するとは考えていなかったからだ。

両社のアリアンス直後、パリなど欧州駐在の日産社員が毎夜、日本式の飲み屋に現れ、「ルノーごときが!」「ゴーンごときが!」と言ってクダをまいていたと聞く。ライバル会社のパリ駐在員が、「同胞として見苦しい。クダをまく暇があったら、仕事をするべきだ」と嘆いていた。

あるいは、これが日産という会社の社風、つまりトヨタや本田と違う日本の自動車会社の先駆者という誇り高い会社の社風なのかと思ったことがある。

アリアンス直後の初のルノーの株主総会で、重役に選出された塙が会見で、「できるだけ早い時期にルノーの株を取得する」と宣言したからだ。

この時のシュバイツァーのちょっと呆れたというか、ムッとした表情が忘れられない。今、そんなことを言っている場合ではなかったからだ。

日産・ルノーの「結婚」に漂う暗雲

ゴーンも翌2000年7月に、ルノーの株主総会に出席のため、帰国した時に会ったが、提携前の予想と異なっていた現実として、「火の車だというのに、まだ未来があるように対応していた」と述べ、驚きを隠さなかった。

一方で、日産は当時から、いつかゴーンはもとよりルノーとも縁を切ることだけを、考えていたのかもしれない、とも思う。マクロン大統領が、「日産とルノーの合併」を意図したことが、今回のゴーン逮捕につながったとの解説が説得力を持つゆえんだ。

ゴーンは最初のインタビューで、「遅くとも、(99年)10月の東京モーターショーまでには具体的な日産の再建計画を策定する」と明言。「日産を3年で立て直す」とも断言した。仏側では当時、ルノーのリスクを指摘する声が強かった。

実際にアライアンスのニュースが流れるや、ルノーの株価が2日間で10%下がった。フィガロ紙は、日産がこの7年間で6回も赤字決算を計上し、膨大な負債を抱えているほか、日仏の文化の相違を上げ、在日仏経営者たちがいかに、日本で苦労しているかを特集した。

日本企業特有の決定方式、つまり、誰が決定権を持っているのか不透明なコンセンサス方式などを挙げ、日産・ルノーの「結婚」の前途を危ぶんでいた。

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「日産は官僚的だった」

2000年7月1日午前9時にパリ郊外のフランス日産でゴーンに2度目のインタビューをした時は、初めて行く場所なので、遅れないように早めに行ったら8時半前に到着した。広報のM(女性)が緊張した顔つきで、すでに到着していたのにも驚かされた。

土曜日なので、誰もいない会社の自動販売機のコーヒを2人で飲みながら待っていたら、時間ピッタリにゴーンがやってきた。

「この人は、誰もいない会社で土曜日も働くのだ」とモーレツな仕事師ぶりを垣間見た思いだった。

6月の日産の株主総会で、「破壊者」「ルノー進駐軍」「外国人」などと呼ばれた点について尋ねたら、

「総会屋のことは警告を受けていたのでショックは受けなかった。挑発的トーンと大演説で彼らと分かったが、誠心誠意答えた。それにルノーは占領軍ではない。ルノーとはパートナーとして手を携えて仕事をしている」

と答えた。

提携の成果にも、「非常に満足している」と述べた後、「日産は26、7年前から衰退の一途。最高で33-34%のシェアが現在では17,8%に減少した。立て直しは容易でない」と指摘。

衰退の原因として、「顧客の要望に応えていなかったし、競争相手よりも様々な試みをしなかった。対応の緩慢さも非難の対象だ。つまり日産は官僚的だった」と指摘した。