大炎上したローラ「辺野古工事中止呼び掛け」をどう考えればよいか

セレブのポピュリズムについて
綿野 恵太 プロフィール

「一般意志」はどこにあるのだろうか

ところで『セレブの誕生』で最も刺激的なのは、ジャン=ジャック・ルソーを扱った箇所だ。ルソーもまた彼の私生活を覗き見ようとする「公衆」に取り囲まれた著名人だった。

リルティは、晩年の著作である『ルソー、ジャン=ジャックを裁く――対話』に「著名性」と格闘したルソーの姿を見ている。

この著作は、ジャン=ジャックの頭文字をとった「J・J」をめぐって「ルソー」と「フランス人」との対話によって構成されており、「『パリ全体、フランス全体、ヨーロッパ全体』が、『民族全体』あるいは『同時代人』たちが、全員一致して彼に敵意を向けている」ことを告発する内容となっている。一般的にはルソーの迫害妄想が生んだ狂気の書だとされてきた。

リルティによれば、ルソーは「メディアの支配下で形成される大衆の意見に対する批判的視点」を先見的に持っていたのだという。

だが、リルティはこれ以上踏み込んでいないが、ルソーの「公衆」への批判は『社会契約論』をはじめとする政治理論とどう関係するのだろうか? いうまでもなく、晩年のルソーが批判していたのはポピュリズムである。

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ルソーによれば、人民の意志である「一般意志」は、共同体の成員の「全員一致」によって見出される。もしくは「全員一致」までいかなくとも、投票によって「最大多数派」の意志に見出される。

だが見たように、晩年のルソーは「公衆」の「全員一致」は批判していた。たしかに『社会契約論』においてもルソーは「公衆」が「幸福を欲していても、それがわから」ず、「彼らが欲しているものを教えてやらなければならない」存在としている(『社会契約論』作田啓一訳、白水社)。

そして、たとえ「全員一致」であったとしても、そこで表明された意志が「一般意志」ではないケースもあげている。それは「市民が奴隷状態に陥って、もはや自由も意志も持たなくなった場合」である。ルソーがその例としてあげるのは、オットーやヴィテリウスが皇帝の座をめぐって対立し、暗殺や内乱が続発したローマ帝政期である。

 

辺野古基地工事中止を求める署名は20万筆を超えたが、ホワイトハウスがどのような回答を寄せるのか。2月に予定される辺野古基地の是非をめぐる県民投票の結果はどうなるのか。県民投票にたいして日本政府がどのような反応を示すか。沖縄の辺野古基地移設をめぐる「一般意志」はどこにあるのだろうか。

もちろん、ルソーによれば「つねに正しい」とされる「一般意志」は、芸能人の発言に左右され、移ろいやすい「公衆」の意志でないことは確かのようだ。