「弱み」は人間が生き延びるために必要な能力だった

日本人の脳に迫る⑭
中野 信子 プロフィール

「ひらめき」はAIに勝てる最後の砦か

さて昨今、AIは人間と競合する、といった文脈で語られることが多い。圧倒的な速さで進歩を遂げていくAIに負けてしまうかもしれないという恐怖感からか、人間は自らの「強み」を探すことに躍起になっているように見える。

「ひらめき」は論理の積み重ねにより得られるのか否か、という問題があり、人々は「ひらめき」は人間の「強み」であり、最後の砦のように持て囃す。しかし、私はこの考え方にはあまり賛成でない。

 

確かに、ごく少ない過去の事例やデータから、解決策を「ひらめく」ことができるのは、人間の「強み」と言えるかもしれない。現時点では、という条件つきにはなるだろうが。

さらに言えば本質的に、この「強み」には限界がある。誰かがどんなに「ひらめいた」と思っても、だいたい誰かしらは、同じようなことを考えている。研究者はそれを特によく知っているはずだ。すごい「ひらめき」だと思っても、世界の中では5人くらいは同じようなことをひらめいているし、もうすでに誰かが同じことを先に始めていて、進めている可能性すらある。

ひらめいた瞬間は楽しいし、興奮もあるだろう。しかしその「ひらめき」が社会で評価されるかどうかというのは別の問題だ。AIに負けるかもしれない、という不安のあまり、「ひらめき」の楽しさと、その実効性を混同するという単純なトリックに、人間は引っかかりやすくなっている。これが今、多くの人が陥っている状態かもしれない。

囲碁で敗退したAIの失敗とは?

数年前に、囲碁棋士の李世ドル(イ・セドル)と、コンピュータ囲碁プログラムのAlphaGoとの対決があった。3度目まではAlphaGoが勝利を収めた。しかし4度目の対戦でAlphaGoは、難局を回避するため、人間の棋士ならば常識的には打たない奇妙な手を打った。勝機を見いだした李世ドルは、AlphaGoに打ち勝った。

人間とAIの差がいちばん出るところがこのような局面だろう。人間の場合は、これまでのデータを超える絶妙の一手をひねり出したり、逆に不利を認めて投了したりする。

しかし、AIはそうではない。目先の難局を避けるためにごく短期的な予測に基づいて奇妙な手を打ってしまうことがあるのだ。結局、そこから総崩れになって負けていくパターンになるという。開発者にとっては、AIがこのような部分を克服できるのかどうかというのが課題となるのかもしれない。

ただし、AlphaGoが使っているディープラーニングの手法は、過去と比べるとだいぶ人間に近づいているとも言われる。奇妙な手を打ったというのは、データの蓄積が足りず不確実な選択肢の中から無理矢理答えを出したからと考える技術者もいる。

とすれば、これからデータは蓄積されていく一方であるから、AIは正確な答えをより速く、確実性を増して出せるようになっていくだろう。過去のデータが十分にある状態なら、AIは圧倒的な威力を発揮する。人間の「ひらめき」なぞ、簡単に凌駕してしまう。

しかしすでに、人間とAIが競合する、という軸で語るのがそう妥当ではないということを多くの人が感じ始めているのではないか。むしろ、AIの力を借りながら、互いの「強み」と「弱み」を知り、協調して発展しよう、という建設的な議論を始めるべきときだということを人々が感じつつもどうしてよいのかわからない、という状態ではないだろうか。

新しく、未知の要素も多く、それでいてわれわれに近い機能を持つ存在は、不安の強い私たち人類にとっては、恐怖感を煽られてしまう相手かもしれない。が、本来、人工知能は、われわれの生活をあらゆる面で豊かにするために開発されてきたはずの存在だ。

脳の進化の歴史をたどれば、人間は合理的に考えることのできる知性を発達させることで繁栄もしてきたが、その合理性を適度に抑えることで――つまり、適度に鈍感であり、忘れっぽく、愚かであり続けることによって――集団として協調行動をとることが可能になった。

それが、今日まで人類が発展を続けることができた大きな要素だったのではないかと考えることができる。果たして、合理性だけが発達した人間は、どのように扱われるか。彼らは、異質なものとして人間社会からは排除されてしまうのだ。

ただ、その人間がつくり出した合理性の塊が人工知能だとすれば、これは人間の不合理性とは補完的に働き、強力なパートナーシップを築くことも可能性としては十分にあり得る。AIとの勝負、などと煽るつまらないビジネスをしている場合ではなく、このディレクションができるかどうかこそが人類の課題だろう。