「弱み」は人間が生き延びるために必要な能力だった

日本人の脳に迫る⑭

ヒトの「弱み」と「強み」

しばしば、「自分の脳をもっとよくするにはどうすればよいか」という質問を受けることがある。

だが、私はこの考え方はいかがなものかといつも感じている。

人間にとっては、一見すると「弱み」に見える資質が逆説的に、生存戦略上はメリットとして機能してきたからだ。

たとえば「合理性を欠く」という性質。これは一般的には無批判に「劣った性質」であり、人間の脳の機能的な「弱み」であるとみなされている。合理的に考え、論理的な思考を持つ者こそ、知能が高く、人間社会のヒエラルキーにおいて上位に立つべき者である、という考え方が現代社会においては支配的だ。

しかし本来は、この「弱み」が現代まで引き続いている理由があるはずで、だからこそ、人間はここまで生き延びてくることができたと考えるのが自然ではないだろうか。

 

実際、「合理性を欠く」という「弱み」から得ているメリットも、人間には多くある。そもそも、人類の歴史が「弱み」を活かしてきた工夫の連続だとも言える。

人類の起源はアフリカと考えられている。豊かで気候の良い土地であり、生存にも生殖にも有利であったはずだ。条件の良い場所は個体数が増えればそれだけで競争が激化する。いつしかこの土地で生き延びること自体がレッドオーシャン化したのか、「負け組」たちはこの地を捨てた。

他種の生物を殺して作った衣服をまとい、同種の人類どうしの間でも資源を奪いあうようになった。そうしなければ生きていけないような、寒冷で厳しい環境へ移動、拡散を続けていった。

「自分をコントロールできない」わけ

こんな選択をしたのは、なぜだろうか。もちろん競争に勝てないほど弱かったから、負け組だったから、というシンプルな理由づけもできるだろう。しかしここで、人間が合理性に基づかない判断をしたからだ、と考えてみることもできる。

人間には、他の霊長類たちと比べると、新しい環境のほうを選好する「新奇探索性」を強く持っているというひとがいる。このために、なま優しい環境には満足できず、あえて厳しい環境へ、ドーパミンの刺激を求めて飛び込んでいかずにはいられない、というのだ。そういう意味では、人間というのはなんとも業の深い生物だとも言える。

もしもこれが、現在のディープラーニングとビッグデータの集積のような“AI”でなく、理想的な汎用人工知能のように合理的な判断だけを選好する存在だったとしたら、過去のデータの中でも特に確実なものをベースに、合理的に考えるはずではないだろうか。

生存の確度が低いので北に移動することは避けるだとか、あるいは、現状よりは子孫を残すことに適さない環境であることが想定されるので移動は中止、などと判断するだろう。

この「新奇探索性」は、「合理性」とはしばしば衝突する人間の「弱み」のひとつである。「わかっていてもやめられない」というのがわかりやすい言い回しだろう。やめられない何らかの楽しみであることもあり、人が道ならぬ恋に走る元凶でもあり、いわゆる「背徳的」な行動を増長する仕組みである。これを人間は自力でコントロールすることは極めて難しい。

仏教の言い回しを借りれば、コントロールしきろうとする行為は「灰身滅智(けしんめっち)」という。欲望の種を滅することは自らの身を灰にまで焼き滅するようなものだというのだ。

東洋思想ではこれがまさに自殺行為と言ってもよいものととらえられているのは面白い(実際、生殖を止める行為でもあるから、生物種としてはゆるやかに滅亡の道をたどることになる)。

重要な機能でありながらバグのようでもあるこの「弱み」を、外部から適度なゆるやかさでコントロールすべく当てたパッチが、社会道徳であったり、宗教的倫理観であったりする。そう考えると、人間を巡るさまざまな現象のつじつまが合う。