ビル・ゲイツ大絶賛の書が私たちに投げかける「重要な問い」

私たちの見ている世界は本当に正しいか
上杉 周作 プロフィール

本書に載っているエピソードの多くは、世界を飛び回った著者・ハンスの原体験がもとになっている。訳者のわたしが言うのも変だが、読み物として半端なく面白い。

あなたの知り合いの中に、キューバで故・フィデル・カストロ大統領に直接許可をもらい、病気の調査にあたった人はいるだろうか?

2014年にエボラ出血熱が流行った際に、すぐさま西アフリカのリベリアに飛び、命をかけて感染を止めようとした人はいるだろうか?

コンゴ民主共和国の田舎で病気の調査をし、村人に命を奪われそうになった人はいるだろうか?

知り合いにそんな人がいなくても、『ファクトフルネス』を読めば、ハンスの冒険に満ちた半生を追体験できる。それこそが読書の醍醐味だ。

ハンス・ロスリング(撮影:Stefan Nilsson)

人の命を計算しないほうが、よっぽど恥ずかしい

データをもとに難しい決断をしてきたハンスだからこそ、彼が紡ぐ言葉には重みがある。わたしが訳を担当した第5章にある一節を紹介しよう。

「人の命を計算するなんて、恥ずかしいことだ」という人もいる。しかしわたしは、人の命を計算しないことのほうが、よっぽど恥ずかしいと思う。

ハンスは30代半ばのころ、アフリカ南部の国・モザンビークの貧困地区で医師をしていた。地域の人口は約30万人。いまの新宿区の人口に匹敵する。しかし、医師はハンスひとりだけ。毎日約3人、年間約千人の子供がハンスの病院に担ぎ込まれ、20人にひとりが命を落としていた。

そんな苦しい状況にあっても、ハンスは病院での治療にはフルコミットしなかった。担ぎ込まれた子供に対しても最低限の治療を施すのみ。彼を訪れた友人の医師は、その様子を見て「お前は医師失格だ」と告げた。

しかし、ハンスの行動には理由があった。当時のモザンビークでは、4人に1人の子供が5歳になるまでに亡くなっていた。計算すると、病院で亡くなる子供よりも、病院の外で亡くなる子供のほうが75倍も多かった。

だからハンスは、予防接種や検診などの公衆衛生プログラムをつくることに全力を尽くした。大掛かりな治療には時間を費やさず、地域全体の乳幼児死亡率を下げることを優先した。

多くの人は、「目の前にある数字がいちばん大事」という思い込みにとらわれている。これもまた、本書で紹介されている10の思い込みのひとつだ。

モザンビークの病院で亡くなる子供の数は、「目の前にある数字」だった。ハンスにとって、それは大事な数字ではなかった。かわりに、病院の外で亡くなる子供の数という、本当に大事な数字を見ようとした。

ハンスの決断には賛否両論あるだろう。だが、彼が思い込みを捨て、「命の計算」をしたおかげで、より多くの子供が救われたのは確かだ。

 

バトンを受け取ってほしい

そんなハンスは、もうこの世にいない。『ファクトフルネス』の原著が出版される約1年前の2017年2月に、ガンで亡くなった。68歳だった。

彼からバトンを繋いだのは、息子のオーラとその妻のアンナだ。ふたりはハンスの遺作を世に送り出し、本書は世界で100万部発行のベストセラーになった。

筆者と、原著の著者のひとりのアンナ(撮影:編集者の中川ヒロミ氏)

オーラとアンナからバトンを繋いだのが、わたしと共訳者の関さんだ。

わたしはまだ30歳。本業はシリコンバレーのエンジニアで、本の翻訳は初めてだった。世界一周はしたことがあるが、サハラ以南のアフリカにはまだ行けていない。まだまだ、世界のことはほとんど知らない。わたしごときが訳したら、バトンを落としかねないと思った。

それでもこの半年間、試行錯誤しながら筆を進めてきた。共訳者の関さんも、編集者の中川さんもたびたび助けてくれた。おかげさまで、わかりやすく、生き生きとした訳をつけることができたと思う。

この記事を読んでくれたあなたが最後にバトンを受け取り、『ファクトフルネス』を手にとってくれたら嬉しい。あなたが思い込みを乗り越え、「多くの人が見過ごす大事なデータ」を探し当て、それぞれの世界で活躍してくださることを願うばかりだ。